過去の自分がこんな話を書き残していた。
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オートバイに花を積んで、私は何度か道を走ったことがある。
菊の花を積んで、父の墓参りに。
菜の花を積んで、祖父母の入院する病院へ。
小さな菫のような紫色の花の小鉢を積んで、母の誕生日に家に向かって。
やっと訪れた暖かい春の日の、朝と昼の曖昧な時間。散々待ちくたびれた明るい陽光の中でぼんやりとしていた。
ふと思いついて、ジーンズとジャケットを身に付け、顔をさっと洗って髪をとかし、ヘルメットをかぶる。
あとはほぼ無意識にシューズを履いて、ポケットからキーを抜いてイグニッションに差し込み、グローブを付けて、キックペダルを踏み込む。
春の陽気に酔った自分とは思えない、力強い身のこなしで車道へ走り出す。信号で止まるたびに眠気が襲い、信号が青になると一瞬で覚醒する。
ほんの五分ほど走って、狭い路地の片隅にオートバイを止める。そこは、賑やかな青果市場。
乳白色のやさしい眩しさに満ちた春の光が降り注ぐ、新鮮な野菜や果物、春色の花々、生き返ったばかりのようなたくさんの買い物客。
一軒の生花店で、黄色い花の束を買った。ほんの五~六本ほどの、春らしい花束だ。
オートバイを止めた場所に戻り、荷台にやさしく固定して、まっすぐ家に帰る。
春の風は柔らかいくせに少し強くて、だけど暖かい。オートバイで走っていると、まるで風の中を泳いでいるような気分になる。
間もなく家に着き、花束を固定していたゴムバンドをそっと外す。新聞紙にくるまれた花は無事だった。
透明なガラス瓶に黄色い花を生ける。窓際の明るいテーブルの上に置いて、しばらく眺める。
それから、起きたときのままの布団に転がって、また眠りにつく。何もかもが気持ちいい、そんな春の日がやって来た。
透明なガラス瓶の外側と緑の葉には、キラキラと水滴が付いていて、少しだけ開けた窓から入る風に、花はさわさわと揺れていた。
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オートバイが、本当に身体の一部のように身近だった頃の話だ。
写真の花束は、誰かに貰ったったものだったか、あるいは自分で買ったものだったのか。
父の命日に、父との思い出の海へ、花を買って走って行ったのだったか。記憶がほとんど無い。
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