2021年3月22日(月)、ヤマハさんからいただいたアンケートの謝礼で、ヤマハのヘルメットを注文した。
ツイッターで片岡義男の話題をきっかけに、自分が憧れている世界観をもった人たちがたくさんつながっていて、やっと自分が居たい世界に少し近づいた気がした。
自分だけが大好きだと思っていた世界観を、やはり大好きだと思い続けてきた人たちがたくさんいることを知った。自分を取り巻く空気が変わった気がした。
まるで片岡義男の小説の中の登場人物のような人たちが「僕は・・・」と、小説の中のような言葉で呟いている。彼らの人生には、どんなドラマがあるのだろう。これからの自分の人生もなんだか楽しみになってきた。
そういえば、実の弟が、20年くらい前のバイクを大事に仕舞いこんでいて、それをいつの間にか自分で整備して塗装までして、すでに何度か乗っていたことをつい先日知った。
一度その喜びを知った者は、実際に乗るか乗らないかは別として、その頃の思いをいつまでも忘れずに心の中に留めているのかもしれない。
これで、身近にバイク乗りの現役が一人になった。だけど、私がバイクに乗ろうとしていることは、一部の友人やツイッターのフォロワーさんたちを除いて、身近な人たちには内緒にしている。
この事実を知っている一部の友人たちの反応が興味深い。同年の男性は、車にしたら?と言う。同年の女性は、乗ればいいさ♬と当たり前のように言う。
自分を自由に行きたいところへ連れて行ってくれる乗り物として、たしかに車というものもある。音楽も聴けるし、暑さや寒さも凌げるし。
車が安全かというと、自分にはけしてそうは思えない。過去に一度、居眠りをしていて人を引きそうになったことがある。バイクの場合は、車との衝突、あるいは自損事故のほうが圧倒的に多いような気がする。
つまり、車は人を傷つける可能性が大きくて、バイクは自分を犠牲にする可能性が高いとは言えないだろうか。
だから、自分の命に責任を持たないと乗れない乗り物だと思うのだ。
などと言っているうちに、3月25日(木)夕方、待っていた荷物が届いた。ヘルメットだ。
しかし・・・似合わない。
ヘルメットをかぶれば三好礼子やミーヨにでもなれると思っていたのか、自分は。これが現実なのだ。認めるしかないのだろう。
次はグローブだ。どんなのがいいんだろう。シンプルに黒の革がいいかな。
今のところの目標は、レンタルバイクのセローだから、ヘルメットもグローブもオフロード仕様が良いのだろうけど、もしかしたらロードバイクも乗るかも?となると、無難にこんな選択をしてしまう。
ヘルメットはとても安かったから、とりあえずはこれでいい。先のことはまだわからないのだから。
なにより、スタイルにはあまりこだわらない。つまり、センスがない。とにかく自由にどこかへ走って行ければそれで良かったりする。
今の自分の中のバイクブームの始まりは、一昨年の大人のバイクレッスンが一つのきっかけではあるけれど、もう一つのきっかけは、友人とのドライブだった。
雪が解け、山菜が出始める頃、蔵王温泉に一泊し、高原のスキー場へ立ち寄った。遠くに朝日連峰が連なり、ゲレンデは緑の草に覆われていた。いい風が吹いていた。
ここへ、バイクで来たいなと、ふと思ったのだ。そして、気が済むまでそこにいたいと思った。
そこから始まった。どうすれば、そういうことができるのかと考える日々が。
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