1988年の自分が残した日記より
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私はいったいどこまで走れるのだろう。
午後8時から翌日の午前10時、私に許された時間は14時間。
しかし、飛ばして走るのは嫌いだし、実は怖い。夜の静まり返った暗闇が怖い。寒さはもっと怖い。
船に乗って外国から旅してきた、そのことだけに惚れて一緒に人生を走ることにしたあいつは、遠くに行くことを少し楽にしてくれたけど。
TT250、逆輸入車。
私はどこまで走れるのだろう。
思うようにならない日々を嘆き、しっかりしない自分を責めて泣きながら走る夜の道。
真夜中の国道。暗闇は怖い。どうしようもなく怖い。
だけど、その心配は見事に打ち破られた。真夜中に元気に生きている人たちがたくさんいた。
大型トラックの派手やかなライトが並んで前後左右を勢いよく走る。運転席のドライバーは白いTシャツ。
眩しい光の中で、汗をぬぐう道路工事の作業員たち。
町を離れ、郊外の道を走る。
ドライブインが見えてきた。大きなトラックが眠る象のように静かにたたずんでいる。
自分もその傍らで少し休んでみたい気持になった。希望の光を発するドライブインの建物に入り、暖かい缶コーヒーを一本買った。
トラックの半開きのドアから、演歌が微かに聞こえてくる。片岡義男の世界は現実なのだ。
オートバイのそばで、心臓の鼓動のようなトラックのアイドリングと微かな演歌を聞きながらコーヒーを飲んだ。
走って走って、闇の中に浮かぶガソリンスタンドでトイレを借りる。走って走って帰る道。
身体が疲れてくると、もう何も考えられない。お尻が痛い。腰が辛い。腕がだるい。手足が痺れる。指が動かない。目が霞む。寒い。疲れた・・・
何のことはない。身体の痛みに勝る心の痛みなんて、私はもっていないようだ。
夜明け間近の国道を北へ向かって走る。
白々と夜が明けて、いろいろなものが見え始める。夜明けも怖い。
自然という大いなるものへの怖れだ。
夜が明けた。
海が光っていた。波が真っ白だった。太陽の光が道に溢れていた。
いつも時間通りには帰って来ない、遅刻がお得意のシンデレラ。
鏡よ鏡、私はいったい誰なの?
家にたどり着いて、鏡に映った自分を見ると、酷い顔をしていた。
鼻と口の周りが丸く黒い輪になっている。目はくぼんで血走っている。まるで、夜明け前に逃げ遅れた亡者だ。
急いで顔を洗って、着替えて、私はいつもの場所へ向かう。
二人の家族の、長い長い旅立ちのための、この世で最後の準備を手伝うために。
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(祖父母が入院中、母は父亡き後の商売と祖父母の付き添いで寝る暇も無し。ほんの少しだけ母のために協力していた頃の話だ。)
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