南房総へ行きたいと、ふと思ったら、深い言葉をいただいた時のことを思い出した。あとはちょっと自慢。
-求めずして与えられた言葉-
☆
千倉に憧れて、東京湾フェリーと電車で旅をした。なんとなく選んで予約したペンションに一泊した。
オーナーが、車で海岸美術館(既に閉館)へ案内してくれた。
車を降りてお礼を言うと、オーナーは唐突にこう言った。
「どうか、本当に好きなことをして生きて下さい。お願いだから・・・」
彼は癌に侵され、教師を辞めて夢だったペンションを始めたのだそうだ。ペンション名にブルーという言葉が入っていた気がするが、今はもう無いかもしれない。
(↑写真はそのペンションのサンルーム)
☆☆
オートバイに乗っていた頃。南蔵王の快適なワインディングを走っていた。道端にふとオートバイを止めて、写真を撮っていたのだったか。
通りすがりの女の子が、対向車線にロードタイプのオートバイを止めて声をかけてくれた。
「かっこいいですね」
「かっこいいですね」
自分より少し若い地元の女性。少し話をして、彼女は私の写真を撮り、住所をメモして走り去った。
そんな出来事を忘れかけていた頃、一枚のモノクロームのフォトカードが実家に届いた。少し顔を傾けて、オートバイに寄り添って自然に笑っている自分が写っていた。
彼女が自分で現像したらしいその写真は、たぶん、今までの人生で一番のお気に入りの写真になった。いつも持ち歩いているうちに紙が傷んで、色がセピア色に褪せてきた。今はどこに仕舞ったのかわからなくなっているけど、どこかに大事に仕舞ってあるはずだ。
(↑写真は山形蔵王の道)
(↑写真は山形蔵王の道)
☆☆☆
その昔、沖縄へオートバイで旅をした。東京の港からフェリーで沖縄へ渡った。本島を一周している間に、秋田から旅をしている青年と出会った。
海岸まで一緒に走り、海で遊んだ。夜はユースホステルを抜けだして、居酒屋へ行ってご馳走になった。
別れの日、それぞれの方向へとオートバイを走らせた。その日の予定を聞いていた。青年は小さな島へ渡るのだと言っていた。
反対方向へ走りながら、涙が出そうになった。
しばらく走ってから、Uターンして船着き場へ向かった。船着き場に、その青年はいた。顔を見合わせ、お互いにぎこちなく、会話も途切れた。
出会った日に、こんなことを言った青年が悪いのだ。
「バックミラーに映る目が綺麗だった」
「バックミラーに映る目が綺麗だった」
沖縄東京間のフェリーは週に一便程度だった。旅費が殆ど無くなった私は、同じく金欠状態(後日知った)の彼を残して島を去った。
冷たい女だ。
(↑写真は当時の沖縄)
(↑写真は当時の沖縄)
旅の空の下で、他人は優しい。
どんな思いで発せられた言葉なのか、どんな思いでその言葉を受け取ったのか。
時には人生を変えてしまうほどの、ほんの一言もあるのだろうけど、今はもう、良い思い出となった。
(↑写真は東京湾フェリー)
おまけ
滋賀県の琵琶湖の橋を渡るとき、料金所かどこかで地元のオートバイのお兄さんから声をかけられ、お茶を飲みに行った。
ヘルメットを取って話し始めたとき、
「なんや、女の子やったんか?」
と言われた。
「なんや、女の子やったんか?」
と言われた。
髪の毛はロングだったけど・・・
おまけ2
横浜の日帰り入浴施設へオートバイで行ったとき、案内のおばさんに言われた。
横浜の日帰り入浴施設へオートバイで行ったとき、案内のおばさんに言われた。
「お兄さん、そっちは女湯よ!」
そのときもロングヘア―だったけど。
まあ、そういう現実もあるということだ。
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