新しい思い出ができるまでの、繋ぎ。
過去の思い出から。
★写真はすべて過去のもので、文章とは無関係です。場所は青森県。夕陽の海は、不老不死温泉にて。足はレンタカー。
-求めずして与えられた言葉-
☆
仙台から八戸へ、45号線を北へ向かって走っていた。思った以上に時間がかかる海岸沿いの道。宮城県を抜ける前に雨に降られて、看板を頼りに宿に飛び込んだ。
飛び込みなのに、夕食の準備もしてくれた。赤ん坊を負ぶって布団を敷きに来た宿の若奥さんが言った。
「自由でいいですね・・・」
「同じ年くらいですよね、私と・・・」
「私なんてここから出たこともなくて・・・」
あ、すみません・・・
それ以上、私には言う言葉が無かった。
☆☆
たしかそれは、八幡平を走り抜けたときだったか。282号線か341号線のどちらかだったと思う。季節は夏の終わり頃か。
トンネルとワインディングロードが繰り返される道だった。トンネルを抜けるたびに天気が変わる。
一つのトンネルを抜けたら、すぐそこに広いパーキングエリアがあった。真ん中にパラソルが一つ。
この地方独特のババヘラアイスのお店だ。おばあさんが一人ポツンとアイスボックスと共にそこにいた。https://akitanote.jp/detail.html?id=183
特に食べたくもなかったけど、一つ買った。
おばあさんが言った。
「お姉さんは自由でいいねえ」
「わたしなんか迎えが来るまでここで一人っきりだ」
いつ迎えが来るんですか?
「夕方だな」
まだ昼を過ぎたばかりの時間だったと思う。
「若い頃からずっと来てるのさ」
バラのような形のシャリシャリのアイスを食べ終え、後ろ髪を引かれる思いで私はバイクを走らせた。
次のトンネルに入るまで涙が止まらなくて、長いトンネルを抜ける頃、涙は乾いていた。
空も晴れていた。
☆☆☆
宮城県の気仙沼大島へ渡る船のターミナルでのことだったか、今は定かではないけれど、とにかくどこかの島へ渡ろうとしていた時のこと。
一人のおばさんに何かを尋ねたのだったか。そのおばさんが言った。
「お嬢さん、まず、鏡、見ておいで」
あ、はい・・・
洗面室の鏡の中の自分は、まるでのらくろのように鼻と口の周りが真っ黒だった。排気ガスにやられたのだ。
笑えない顔だった。
おばさんの言葉は、限りなく優しかった。
☆☆☆☆
四国一周をした時のこと。とある港で船を待っていた時だったか。港で働く男たちが、自分のバイクのナンバープレートを見て言った。
「みやぎ・・・田舎から田舎に来ることもないだろうに」
片岡義男の小説に憧れて、仙台からはるばる自走して行った旅先での悲しい言葉。
「ほんとうにあの道を超えて来たのかね?」
お寺の住職が言った。
はぁ・・・
知らずに走ったルート439で私は苦行を強いられ、宿の寺院でヨサク街道走破の小さな表彰状を頂いたのだった。
旅の空の下で、他人は優しい。
どれほど自分が自由だったか、彼らの言葉は教えれてくれた。
自由という言葉の重みと、限りない喜びと悲しさと。
自由であることと、そうでないことと、どちらが幸せなのかは今でもわからない。
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