見知らぬ人の言葉 旅の空 二(May 3, 2021)

 新しい思い出ができるまでの、繋ぎ。

 

過去の思い出から。

 

★写真はすべて過去のもので、文章とは無関係です。場所は青森県。夕陽の海は、不老不死温泉にて。足はレンタカー。

 

 

-求めずして与えられた言葉-

 

仙台から八戸へ、45号線を北へ向かって走っていた。思った以上に時間がかかる海岸沿いの道。宮城県を抜ける前に雨に降られて、看板を頼りに宿に飛び込んだ。

 

飛び込みなのに、夕食の準備もしてくれた。赤ん坊を負ぶって布団を敷きに来た宿の若奥さんが言った。

 

「自由でいいですね・・・」

「同じ年くらいですよね、私と・・・」

「私なんてここから出たこともなくて・・・」

 

あ、すみません・・・

 

それ以上、私には言う言葉が無かった。

 

 

☆☆

たしかそれは、八幡平を走り抜けたときだったか。282号線か341号線のどちらかだったと思う。季節は夏の終わり頃か。

 

トンネルとワインディングロードが繰り返される道だった。トンネルを抜けるたびに天気が変わる。

 

一つのトンネルを抜けたら、すぐそこに広いパーキングエリアがあった。真ん中にパラソルが一つ。

 

この地方独特のババヘラアイスのお店だ。おばあさんが一人ポツンとアイスボックスと共にそこにいた。https://akitanote.jp/detail.html?id=183

 

特に食べたくもなかったけど、一つ買った。

おばあさんが言った。

 

「お姉さんは自由でいいねえ」

「わたしなんか迎えが来るまでここで一人っきりだ」

 

いつ迎えが来るんですか?

 

「夕方だな」

 

まだ昼を過ぎたばかりの時間だったと思う。

 

「若い頃からずっと来てるのさ」

 

バラのような形のシャリシャリのアイスを食べ終え、後ろ髪を引かれる思いで私はバイクを走らせた。

 

次のトンネルに入るまで涙が止まらなくて、長いトンネルを抜ける頃、涙は乾いていた。

 

空も晴れていた。

 

 

☆☆☆

宮城県の気仙沼大島へ渡る船のターミナルでのことだったか、今は定かではないけれど、とにかくどこかの島へ渡ろうとしていた時のこと。

 

一人のおばさんに何かを尋ねたのだったか。そのおばさんが言った。

 

「お嬢さん、まず、鏡、見ておいで」

 

あ、はい・・・

 

洗面室の鏡の中の自分は、まるでのらくろのように鼻と口の周りが真っ黒だった。排気ガスにやられたのだ。

 

笑えない顔だった。

 

おばさんの言葉は、限りなく優しかった。

 

 

☆☆☆☆

四国一周をした時のこと。とある港で船を待っていた時だったか。港で働く男たちが、自分のバイクのナンバープレートを見て言った。

 

「みやぎ・・・田舎から田舎に来ることもないだろうに」

 

片岡義男の小説に憧れて、仙台からはるばる自走して行った旅先での悲しい言葉。

 

「ほんとうにあの道を超えて来たのかね?」

 

お寺の住職が言った。

 

はぁ・・・

 

知らずに走ったルート439で私は苦行を強いられ、宿の寺院でヨサク街道走破の小さな表彰状を頂いたのだった。

 

 

旅の空の下で、他人は優しい。

 

どれほど自分が自由だったか、彼らの言葉は教えれてくれた。

 

自由という言葉の重みと、限りない喜びと悲しさと。

 

自由であることと、そうでないことと、どちらが幸せなのかは今でもわからない。

 

 

 

 

 

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