わたしとオートバイ(Sep 24, 2021)

SNSとブログを続けてきて、はっきりわかったことがある。

 

オートバイそのものが好きというより、旅をすることが第一番めにあって、そのことに必要なのがオートバイであるということだ。

 

だから、コーナーを責めることも、スピードを出すことも、マシーンの構造も、あまり興味は無いのかもしれない。

 

とはいえ、そのデザインや佇まいは無視できない。旅の相棒として相応しい外見や、好ましい色気や雰囲気を持っていることが必要だ。

 

わたしの精神を脅かすことのないエンジン音もまた然り。そして何より、わたしの風貌と体型にぴったり合っていることが大事だ。

 

しかし、それらの条件にぴったりと当てはまるオートバイには、まだ出会っていないような気がする。

 

一台目の200CCは、腕を磨くためにバイク屋の勧めで選んだ。当時はまだ、オフロードバイクはダサいと言われていた時代だった。

 

(写真は、祖母の住む山形の田舎へ行った時のもの。雨が降ってきて、オートバイが濡れないようにと、祖母が農作業用の雨合羽を掛けてくれていた。DT200)

 

 

ある時、友人のボーイフレンドに尋ねたことがある。
 
「わたしにはどんなオートバイが似合うと思う?」
 
わたしに三好礼子の存在と、片岡義男の小説を教えてくれたのは、彼の友人だ。彼らはオートバイに乗る人たちだった。
 
友人のボーイフレンドはこう答えた。
 
「オフロードバイクかなあ、やっぱり。今のイメージ以外考えられない。」
 
当時、わたしは225CCのオフロードバイクに乗っていた。モトクロスには興味がなく、旅をしたいのだと気づいた時に、一台目から乗り換えた。
 
どこへでも連れて行ってくれた相棒ではあるけれど、この先の旅の相棒としては、何かが違う、そう感じていた。
 
もっと遠くへ、もっと無理なく旅することができるオートバイが欲しかった。
 
八〇キロ程度の速度でも、バックミラーはぶれて後方は全く見えず、腕は震動ですぐに疲労した。そして、舗装路ばかリ走っていると、タイヤはすぐに摩耗した。
 
これでは、どこまでも遠くへ行くことはできそうになかった。
 
(写真は、たぶん塩釜あたり。セロー225)
 
 
そんな時、世話になっていたバイク屋に、ちょっと見慣れないオートバイがやってきた。
 
逆輸入という言葉を初めて聞いた。シンプルだけど存在感があった。車高の高い、ちょっぴり精悍でカッコいいオートバイだった。
 
オーストラリアから戻って来たのだという。ほぼ一目惚れをした。三台めこそはオンロードにしようと思っていたのだが、決めてしまった。
 
高速道路では、やはり快適とは言えないが、より遠くへと旅する機会が多くなった。
 
反面、林道へはほとんど行かなくなった。片足でつま先立ちという足付きだったため、技量の無いわたしには未舗装路は無理だった。
 
そして、二度の軽い事故を経て、様々な理由も重なって手放すことになった。
 
わたしのオートバイ人生は、そこでいったん終了だ。
 
(写真は、訳あって関東へ引っ越した後に行った草津白根山あたり。TT250)
 

 

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