
オートバイ乗りとは、オートバイにずっと乗り続けている者だけのことを言う。
そう言ったのは、横浜ケンタウロスのボスだ。
片岡義男世代の前に、暴走族の出現の前に、ちょっとこわい大人たちのオートバイ集団がいた。その頃が横浜ケンタウロスの始まりだったようだ。
なぜケンタウロスを知っているかといえば、横浜に住んでいた頃、遠い親戚の紹介でほんの一時期ショップに出入りしていたからだ。関東に越したときに乗って行ったTT-250のメンテなどでもお世話になった。
ショップの二階にはクラブハウスがあり、そういうこわい大人たちの集う場所になっていた。そこで、大抵はボスがビールを飲んでいた。クラブハウスに出入りできるのは、たしかボスに許された者だけだったような気がする。
一度、中華街周辺を何台かのオートバイで低速で走行する「児廻り」に参加したことがあった。そこに何の意味や価値があるのかもわからなかった。
ただ、横浜ケンタウロスに出入りすることだけで、ディープなヨコハマに浸っているような気分になれた。
たった一度だけ、伊豆半島でのパーティに参加したこともあったが、馴染めずに一人で海水浴をして帰って来た。
けっきょく、ショップにもクラブハウスにも馴染めずに、いつしかショップも移転となり、疎遠になった。
ボスは、こうも言っていた。人間には二通りの人間がいる。オートバイに乗る者と、乗らない者だ。
途中でオートバイを手放した自分は、オートバイ乗りとは言えない。今乗り始めたとしても、リターンライダーとも呼ばれない。リターンライダーの定義に当てはまるところが無いからだ。
だけど密かに思っている。人間を二つに分けた場合、自分はたしかにオートバイに乗る者であると。
ちょっとこわいけど、彼らには独特の魅力があった。今の人たちには無い(かもしれない)どうしようもない深くて濃い何かを持っていた。
オートバイに乗るにしても、命がけのような乗り方をしていた。オートバイを語るボスの言葉には、深い哲学のようなものが溢れていた。
簡単には入り込めなかった世界に、わたしはいまだに少し憧れを感じていたりする。

彼らの自由を支えていた人たちや、ほんのちょっとの裏事情や、彼らへの批判も知ってはいたけれど・・・単純に、彼らはカッコ良かった。
★写真は桜木町―高島町間の高架下「壁画」、中華街、大さん橋ふ頭(~2003年)
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