目の前にあるのは現実だけだ 二度目の公道ふり返り

 

 

一昨日、約80キロの距離をレンタルセローで走っている時、過去の回想をしたり、約1年ぶりに再び乗れた喜びとか、しみじみとした感動があったかというと、そうでもない。

 

バイクを運転することにまだ慣れていないせいもあるだろうけど、何かを深く考える余裕などなかった。とにかく変化し続ける目の前の道をクリアしていくことだけが課題だった。

 

そこにあったのは、自分が進んでいこうとする道の先の様子を見定めること、エンジン音の変化を聞き分けること、陽光の暖かさや風の気持ち良さや冷たさを感じること、天気の変化に気づくこと、身体のぎこちない動きや疲労を感じながら、目の前にある素晴らしい風景を自分の中に取り入れること、そして感動すること、その感動に涙が出そうになったこと、ただそれだけだ。

 

目の前にあったのは、ただそこにある現実だけだった。たぶん、それが、オートバイに乗ることの最大の意義ではないか。

 

と、そんなことを、今日になって思った。

 

暗黙の了解で前を走っていたトライアンフさんは、初心者マークをヘルメットの後ろに貼った初老の女性が気がかりで先に進めなかったのかもしれない。

 

お心遣いを無下にしてごめんなさい・・・

 

蕎麦屋の前に停まっていたトライアンフを見つけた時、ご一緒に蕎麦もいいかとふと思ったが、通り過ぎてひとり山を見ながら雲丹ごはんを食べた。

 

わたしは、孤独という友達と自由を選んだのだった。

 

 

 

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