「で、なんで一年に一度なのさ?」
「そうね、最高な季節とお天気、そして情熱と衝動が一致する日が一年に一度しか無いのよ」
「ほう。難しい話だな」
「難しいことなんてないのよ。オートバイに乗る人なら無意識に知っていることよ」
再び彼のバーを訪れたのは、最初に行った日からちょうど一週間後だった。天気は快晴。気持ちの良い夕暮れ時だ。常連客が騒がしくなる時間帯を避けるため、開店早々に行ったのだ。
「で、なんで一年に一度なのさ?」
カウンターに座るなり、彼は唐突にそんな質問をした。無駄のない動きで、欅のボトルと硝子の瓶入りのプレミアムソーダとグラスを私の目の前に置いた。カウンターの向こうで、お通しを作り始めたのか、視線は手元に集中している。
欅のボトルにはカモシカと書かれている。沖縄に行った時の愛車の日本語訳だ。彼は覚えていた。こそばゆい気持ちでくすりと笑った。
自分でジンのソーダ割りを作っていると、ナッツの入った小皿が出てきた。少し時間をおいて、次に出てきたのはミニトマトとオリーブとモッツァレラチーズのマリネだ。
「腹は空いてる?」
「ええ、かなり」
「相変わらずだな」
「え?」
「沖縄でもずいぶん食ったじゃないか。酒も飲んだし」
「そうだったかしら」
「割り勘にしなかったあなたが悪いのよ」
「男にそれはできない」
「そんなこと言ってるから文無しになるのよ。酷い話だわ」
「置き去りにした君はもっと酷い」
返答に困り、マリネを箸でつつき、ジンを飲む。
「で、今年はもう走ったのか?」
「走ったわ」
「いつ?」
「三日前」
「なんだ、誘ってくれれば良かったのに」
「まだそんな仲ではないでしょう?」
「それにね、またあなたの背中に惚れるわけにはいかないのよ」
カウンターの向こうで、彼は愉快そうに笑った。目の前の彼はあの時の青年ではない。落ち着いた大人の男だ。家庭をもったためもあるのだろう。何を言っても受け止める余裕を感じる。自分もまた同じ。本音を冗談のようにさらりと言える女になった。
そう、あの頃の彼はまだ二十代半ば、港へ追いかけて行った私の顔を見て戸惑いを隠せなかった。あの時の様子を今でもうっすらと覚えている。少し後悔もしたことを。
「で、どこまで走ってきたんだ?」
「あ、そうそう、バイクは持ってるの?」
「レンタルよ。今どきはそういう便利なサービスがあるの。高いけど」
「ヤマハのオフロードか?」
「なぜ知っているの?」
「なんとなく、そのイメージしか涌かない」
「似合ってたんだよ」
ドアが開いた、またあの3人組だ。賑やかに店に入ってきて、前回と同じ席に座った。カウンターの中の彼は肩をすくめて、仕方がないというアクションをした。
また一人、欅のソーダ割りを飲みながら、カウンターに頬杖をついて物思いにふけった。
タイミングというものがあるのだ。人が何かをやろうとする時には。自分の場合は、季節と天気と情熱と衝動、それらが重なり合った時がベストなタイミングだ。
誰にでもそういうタイミングというものがあるはずだ。それが多いか少ないか、本人が気づいているかそうでないかというだけで。
おわり
つづくかもしれない
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