彼女は決めた 3人の朝

彼はタンデムでハマさんの家まで送ってくれると言ったが、私は自転車で行くことに決めた。

他人の身体に密着して、今まさに進んでいる道の先が見えない状態で、不安定なオートバイの上にただ乗せられている状態が好きではないからだ。

何より、ハンドルではない軟らかい人間の腰につかまって安定しようとすることに納得がいかない。ニ―グリップしようにも、軟らかい人間の足を締め付けるしかないのだ。明らかに、他人同士がやることではないと、私は思う。

「他人?そうなのか、俺たち」

「そうよ。恋人でも家族でもないわ。友達でもないでしょ?」

「あ、なんか傷つく言葉だな」

「じゃあ、何なの?私たちって」

「うーん、そうだなあ」

「バーの客とマスター、よね?」

答えが曖昧なまま、店を出て翌々日の予定を案外楽しみにしている自分に気が付いた。オートバイで走るのはソロがいいと過去も今も思っている。だけど、今回はなぜかとても楽しみなのだ。

朝6時、ハマさんは2台のオートバイの最終点検をしながら、家の前で待っていた。すでにバーのマスターも赤いタンクのKAWASAKI Z900RSで到着していた。

30分自転車をこいできた私は、汗だくだ。自転車のかごにはヘルメット、荷台にはライディングブーツとジャケットの入ったバッグが括り付けてある。

到着して朝の挨拶をしながら、視線は初めて対面するSR400の親しみのあるグリーンの美しいタンクにくぎ付けになっていた。

「キックスタートは初めてですか?」

「いえ、過去に乗っていたオートバイはすべてキックスタートでした」

「それなら、やってみますか」

スニーカーをショートブーツに履き替え、SRのキーを受け取って、ハマさんの説明通りにやってみる。

キルスイッチはRUN、燃料コックをON、メインキーをON、バイクにまたがり、キックペダルを出す。ペダルが固くなる位置まで軽く踏み下ろす。

ハンドル左側の下にあるデコンプレバーを握る。デコンプレバーを握ったままキックペダルをゆっくり踏み、エンジン右上のキックインジゲーターを確認。シルバーのマークが出るまでペダルを踏む。

マークが出たら、デコンプレバーを離してキックペダルを元の位置まで戻す。キックペダルを一気に踏み下ろす。

一回目かからず。二回目キックペダルを踏む足がすべる。三回目、気持ちの良いいエンジンの回転音が聞こえてきた。

一旦降りて押し歩きをしてみた。重い。レンタルで乗っていたのはセローだったため、きゃしゃなSRでも重く感じたのだろう。

ふと気がつくと、ハマさんとバーのマスターのオートバイのエンジンも稼働し始めていた。

素早く荷物をまとめて荷台に括り付け、ヘルメットとジャケットとグローブを身に付けた。足には膝と脛が一体になったプロテクターをジーンズの外から取り付けた。

「準備は良いですか?軽く走ってみましょうか」

「あ、はい」

オートバイに跨り、スタンドを払ってアクセルを開ける。ハマさんがゆっくり先頭を走る。不安を感じながらさらにアクセルを開ける。私が走り出したタイミングに合わせて、後方からゆっくりとKAWASAKIが付いてくる。

風が心地いい。清々しい朝の空気を感じながら、スローペースで市街地を抜け、道はのどかな農道となり、やがて高原の緩やかなワインディングロードとなった。SRのエンジン音が魅力的な音を奏でている。

ここは、懐かしい蔵王町の七日原だ。駐車スペースにバイクを止めて店のドアへ向かったハマさんは、両手で✕印を作って戻ってきた。カフェはまだ開店前だった。

「こだわりの豆を使った珈琲を飲ませる店なんですよ。ちょっと戻ってトイレ休憩にしますか」

再びエンジンをかけて3台はもと来た道を少し引き返し、遠刈田温泉の共同浴場の近くの公共トイレを借りた。神の湯も営業前だった。

神の湯のベンチに座って休憩することにした。バーのマスターは缶コーラ、ハマさんは缶コーヒー、私はペットボトルのお茶。

「もう少し走りますか?カフェで珈琲飲んで帰りますか?」

「俺はせっかくの休みだからもっと走りたいなあ」

バーのマスターは全く走り足りない様子で言った。

「そうですね、どこかでランチくらいどうでしょう?それから帰るか、マスターだけ走りに行くか」

「そうですね、僕たちはランチのあと少し休憩して、それから帰るとしますか」

「なんだ、一人ぼっちか。というのは冗談。久々にロンツーといきますか」

腕の時計を見ると、まだ午前10時前だった。ハマさんの家を出発する頃はまだ曇り空だったが、遠刈田に来て空は気持ちよく晴れてきた。

まずは珈琲、そろそろ開店の時間だ。3台のオートバイは、戻ってきた道を再び南へ向かった。橋を渡る時、勢いの良い川の流れの向こうに、蔵王の山々がくっきりと見えていた。間もなく先ほどのカフェに到着。

ハマさんが言った通り、香りも味もとびきり美味しい珈琲だった。屏風岳を見ながら、三人とも無言で珈琲を味わった。

カボチャ好きの私は、かぼちゃのチーズケーキもいただいた。意外にも男性2人もそれぞれスウィーツを注文していた。マスターはアイスクリーム、ハマさんはガトーショコラ。

こんな微笑ましいひと時も良いものだなと、一人行動が基本の私でもほんわかした気持ちになれた。そして、一週間後にはあの北の大地への旅が待っている。どれほど素晴らしい体験になるのか、既に体験したも同然の気持ちになっていた。

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