2022年10月11日(火)
天気予報と運気予報と仕事のシフト表を何度も見てこの日に決めた。今年2度目のレンタルバイクでのツーリングだ。行き先は南、そこから念願の蔵王の麓へ向かう。

本当ならば、行きたいお店が2つあった。一つ目は温室をカフェにした、名取市のag:re bread+café(アグリブレッドカフェ)。もう一つは蔵王町のcoffee roastery & cafe fua。
どちらのお店も連休明けと定休で休みだ。お店の開店日に合わせるか、天気と運気に合わせるかを悩んだ末、安全な運気の日と観光客の少ない日を選んだ。
結果、最終目的地で立ちごけし、かなりの身体的ダメージを負ってしまったのだが。
いつもなら事後報告派なのだが、今回は前日にTwitterで呟いてみた。行ってらっしゃいのコメントやイイネで背中を押してくれるフォロワーさんが思った以上にいて驚いた。
おはようございます、行ってきますのtweetをして、フル装備を自転車に積んで出発だ。風が少し強い。1度目のレンタルの時はもっと風が強かった。心が少し弱気になっているのか。
今月の占いでは、今月だけは大凶だから大人しくしているようにとのことだった。危険なこと、新規事は避けて現状維持で事なきを得なさいと。11月12月は今年最大級のラッキーな月だから、それまで我慢せよと。
占いは一つの文化だと思っていて、文章が好きで複数のサイトを読んでいる。占いに従って生きるつもりもないけれど、活かしたいとは思っている。しかし、今回はなんらかの暗示にかかってしまったのかもしれない。
しかしだ、季節は待ってくれない。最高気温が23℃以上で30℃以下、最低気温も15℃以上は欲しい。となると、今しか無いのだ。
バイクショップへ行く途中の諏訪神社で安全祈願をした。これで大丈夫だ。そのはずだった。
3度目のYSPで手続きを済ませ、いざ出発だ。4号線バイパスを避けて、県道258号線をひたすら南下する。まずは二か所目の安全祈願だ。毎年お世話になっている竹駒神社へ。こちらの神社では、衣食住をお願いしているのだけど、今日は急遽安全祈願をば。
今になって気になったのが、道を間違えて金蛇水神社を二度も素通りしたこと。もしかしたら呼ばれていたのに行かなかったのか。立ちごけは神様のせいではないだろうけど、なにかひっかかるものがある。
神社詣りのあと、境内で豆乳プリンとコンビニ肉まんを食べ、しばしくつろぐ。
次に目指すは県道25号線。新しいトンネルができて走行が楽になったという情報を得ていた。途中は民話の道となっていて、ほっこらした雰囲気の初心者には走りやすい道だった。
ランチは遠刈田温泉近くのたまご舎でオムライスを食べた。ファミリーが多かった割には、オムライスは甘くない大人の味だった。ひとりは孤独だけど、何とも言えない自由を感じる。ファミリーの父親の羨まし気な視線も感じたような気がした。
駐車場は苦手だ。どこに止めたら良いかわからずウロウロしてバイクが不安定になる。コーヒーは最終目的地の蔵王七日原のどこかでいただくことにして、遠刈田温泉を目指す。
バスで何度も来ていたので道は知っていた。神の湯の傍のトイレを借り、歩いて刈田峯神社へ。ここでも安全祈願をした。これを書いていて思う。あまりにも安全を祈願しすぎだ。逆に恐れに囚われている。
共同浴場の神の湯は終了時間となっていた。帰り道にもう一度通るが、時間的に入浴するゆとりは無いかもしれない。
遠刈田温泉から七日原はほど近い。行きたかったカフェの前で写真を撮り、遠い記憶の中に無いその先へとバイクをゆっくり走らせた。ゆるいまっすぐの坂道の正面には、蔵王が見えている。
緩やかに見えたその坂は、8%の勾配と書かれていた。道の行き止まりには広い駐車場があり、蔵王を背景に美しい草原が広がっていた。こんな場所に来たかったのだ。いつかバイクで来たかったのは、こんな場所なのだ。
ここでもやはりバイクをどこに止めたらいいのか迷ってうろついた。行き止まりまで行って、車用の駐車スペースの四角の中に入れて止めようとした。四角の線は、斜面に平行に引かれていたのだ。気づくこともなくそのマスの中にきっちりとバイクを入れた。
その瞬間に右へ倒れた。足が付かなかったのか、あっけなく倒れた。右足はバイクの下敷きになり、腰も打ったらしい。足はなかなか抜けず、かろうじてくるぶしはelfのショートブーツで守られていたものの、足首とふくらはぎには痛みが走った。
無理やり足を引き抜き、バイクを持ち上げようとしたら、腰がピシッと音を立てた。諦めて違う姿勢で起こそうとしたが、華奢なセローはびくともしなかった。
困り果てて周囲を見渡すと、車から若いファミリーが下りてきたばかりだった。視線を送ったものの、ためらっているうちに、向こうが気づいて来てくれた。体格のいい若い父親がバイクの後ろを持ち上げてくれた。
ふと視線をあげると母親もバイクを持ち上げようとしてくれていた。彼らの腰が痛んでいないことを祈るばかりだ。
とりあえず気持ちと身体を落ち着けるために、ショップへ入ってモルクというチーズドリンクのホットを買い、仔山羊と仔羊と数組のファミリーが遊ぶ草原のベンチに座ってみた。
腰も足も痛い。気持ちがダウンしている。若くはない女の下手なライダー、そんな恥ずかしさもあった。若夫婦の娘さんの視線が冷たく感じた。
美しい空、クリアな空気、夢に見た草原、文句なくすべてが美しい。呼んでもいないのに、仔山羊が寄ってきて、目の前の草を食んでいた。撫でてみたけど、身体と心の痛みは消えず。
しばらくして、親山羊の鳴き声に反応して仔山羊たちは小屋へ戻って行き、ファミリーもどこかへ消えた。
しょぼんと一人きり。空にはトンビ。風が吹く。少し冷たくなったようだ。帰ろうか。帰れるのだろうか。ショップでトイレを借り、傷む足で歩いてバイクへ戻る。
ブレーキレバーが下へ曲がっていた。何とか握れるが、無事運転できるのだろうか。全体をチェックする。思ったより傷などのダメージが無い。エンジンをかけてみても、異常は無さそうだ。
慎重にスタートする。坂道は思った以上に勾配があった。目指すはコスモスラインだ。広域農道というからには、道は穏やかなはずだ。事前にグーグルマップの航空写真で確認はしていた。思った通りの穏やかな道だった。
途中にループ橋があり、アクセルを開いていないつもりなのにぐんぐんと進む感覚が怖かった。やはりそこも下り坂だったのだろう。見た目には水平にしか見えないのだが。
コスモスラインにはコスモスはほぼ咲いていなかった。ほんのちょっと畑の片隅にはあったけど。空があまりにも美しく、写真と動画を撮った。身体が自由に動かない。
立ちごけした場所でも、YSPに連絡して助けを乞う気持ちにはならなかった。連絡することすら忘れていたのだ。ただ、保険に入っているからお金はかからないだろう、そう思うだけだった。
予定ではコスモスラインから457号線へ、秋保二口街道に出て、そこからYSPを目指すはずだった。しかし、のんびりする余裕はなく、早く帰りたい気持ちでいっぱいだったため、交通量は多いが順調に進む286号線に出てひたすら長町を目指した。
ショップに戻る手前でセルフスタンドに寄った。ガソリンは数リッター。500円で百円玉を含むお釣りが来た。ガソリンの入れ方も、支払いの仕方ももう覚えた。
何とか無事にYSPに到着した時、空は真っ赤に燃えていた。YSPのスタッフは、立ちごけの報告に驚きもせず、冷静に書類を書いて終了だ。自転車に荷物を積み込み、夕焼けの写真を撮っていざ自宅へ。
辛い。あまりにも辛い。足が腰が痛くて思うように歩けない。腰は曲がったまま伸ばせないようだ。YSPから自宅まで緩やかな上り坂が続く。約6km。途中押し歩きしながら、なんとか無事帰宅。
今思えば、ショップでケガを確認すべきだったのだろう。もしかしたら保険が適用になったのかもしれない。とはいえ、近所でマキロンを買い、湿布を探したけれど売っておらず、実家を頼って母の湿布を貰って数日をしのいだ。
保険が効くとしても、そもそも病院へ行く気は無かったのだ。しかし腰が痛い。まっすぐ伸びない。かがめない。右脚ひざ下は内出血と火傷とバイクの一部が食い込んだ傷跡とでゾンビの様相だ。足は不思議に痛みがほとんどない。
翌日の仕事は休んだ。3日目に諦めて整形外科へ行った。ガタイの大きな先生はセローのことを知っていた。225ccという昔の排気量も知っていた。バイクに乗る人は、大概立ちごけで来るよねとのことだ。話せる先生で、楽しく時間が過ぎた。
10日が過ぎた。まだ腰も足も痛い。足は初期より痛い。一歩一歩、歩くのがちょっと辛い。とはいえ、そのうち治るでしょうと言われた整形外科の先生の言葉を信じている。肉体労働のパートにも既に行っているし、できることをできるようにやればいいと諦めてもいる。
ただ、オートバイに対する思いは少し変わってしまったようだ。乗れる自信は一歩後退した。軽いと思っていたセローを起こせなかったのだ。
それより重い、キックスタートしかない憧れのSR400に乗れる気がしなくなってしまった。来年の初夏に北海道へツーリングへ行くと言った言葉も撤回しなければという気分だ。
思い起こせば、最後の愛車TT250を降りたときも、事故続きで自信を失くし、バイクの楽しさを感じられなくなって、押し付けるように無償で人に渡したのだ。
バイクに乗ることに対する自分の身体も気持ちも、あの時に終わっていたのかもしれない。
もし傷や痛みが癒えて、またバイクに乗る機会があったとしたら、誰か人の助けが必要になるかもしれないなとも思うのだった。今はもう、かなり弱気になっている。
だけど、忘れるな。立ちごけしなかったとしたら、なんと素晴らしいツーリングだったことか。なんと美しい秋空だったことか。素晴らしい一人きりの時間だったことか。痛みが癒えたら、それらの気持ちが湧き上がってくることを期待したい。
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