彼らの旅 私の旅 ボトルキープは再会の約束

 

「ねえ、その、ミリオンダラーベイビーってなによ」

「あ、これ?うちのお客さんだけど」

「それはわかるけど、そのネーミングが気になるのよ」

 

ミリオンダラーベイビーと書かれた小さなプレートがぶら下げられたボトルは「山崎」だった。

 

「たしか映画のタイトルよね?」

「だな。でも映画は関係ない。乗ってるバイクの名前からテキトーに連想したんだ」

 

「またまたバイク乗りなのね」

「そう、うちのお客は90%バイク乗りだ」

 

ミリオンダラーベイビーさんとマスターは、隣の県で出会ったそうだ。

マスターがソロツーリングに行ったおり、パーキングエリアでたまたま横に止まっていたのがその人のオートバイだった。

 

ホイールの鮮やかな赤が印象的なYAMAHAのオートバイだ。その色の名前から、マスターが思い浮かんだのが、ミリオンダラーベイビーだった。

 

「その時、明日から入院だって言ってたんだ。ミリオンさん」

「そうなの?」

 

「当分バイクに乗れなくなりそうだから、入院前に走りに来たって言ってた」

「重い病気だったのかしら?」

 

「検査の結果、最悪の事態ではないことが分かった」

「んで、退院して落ち着いてから報告に来てくれて、ボトルキープしていったんだ」

 

「ああ、良かった」

「なんだよ、知り合いみたいなこと言って」

 

「知らない人でも元気でいてほしいじゃない。オートバイ乗りなら」

「なんだかなぁ。時々あんたの感覚が理解できないよ。わかるけど」

「なんだ、わかってるんじゃない」

 

「ミリオンさん、すげーいい人でさ。弱気になって何度もバイク降りようと思ったけど、辞められなかったって、本音で話してくれたんだ」

 

隣の県の高原道路のパーキングエリアで、マスターはこう言ったそうだ。

「退院したら、うちの店にボトル入れに来てくださいよ。もちろん、バイクでですよ。良かったら、狭いけど、うちに泊まって下さい」

 

マスターは無神経なようでいて、人の心を見通す才能があるらしい。

再会を約束することで、相手に希望と力を与えたつもりなのだろう。そして、それは現実となった。

 

「ところで、俺に隠してることあるだろ」

「え?何のことかしら」

 

彼は、私が毎日のようにガレージでSRと過ごす時間のことを言っているのか。他に思い当たることがない。

 

「それより、最近マスター変じゃない?」

「どう変なんだよ」

 

「そうね、なんか、つまらなそうっていうか・・・」

「そう見える?実はそうなんだ。倦怠感っていうのかな」

 

最近の彼の料理はどこか何かが足りない。タコのウインナーもしばらく見ていない。

彼に何が起こっているのだろう。男の更年期とか?

 

「実はさ、妻と子供があっちの実家に帰ってるんだ」

「お里帰り?」

 

彼が言うには、日本一周中のとんずらさんとK君がこの店に立ち寄った時から、家に帰って口にするのが彼らの話ばかりになっていた。

 

奥さんは、子育てで疲れ果てているうえに旦那はバイクと旅のことばかり口にする。それで嫌気がさして出て行ってしまったのだろう、と。

 

「そっか。わからなくもないわ。奥さんの気持ちも、マスターの気持ちも」

「俺も旅したいな、本音を言えば」

 

「悩ましいわね。マスターも日本一周経験者ですものね」

「わかってくれるか。俺も飲んじゃうか」

 

複雑な気持ちで小ぶりのグラスを持ち上げ、ウイスキーのストレートを少し舐めた。大きなグラスはチェイサーだ。

 

つまみは、カキフライ。やる気のないマスターにしては上出来の、ジューシーでコクのある美味しいカキフライだった。

 

「旅かぁ」

「旅だよ」

 

私の旅はいつ始まるのだろう。準備は万端のはずなのだが。

 

 

おわり つづけよう

 

※登場人物と思われる方へ

ご登場、ありがとうございました。

ずっと元気で、またバーへ来てください。

 

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