「ハーイ!」
「お、めずらしく連日のご来店ですな」
「仕事も年末の休みに入ったし、なんとなくまた来たくなっちゃって」
「はい、お土産。お客さん来る前に食べちゃって」
「寿司か。ありがとう。俺の好きな貝づくしだな」
「それに、夕べの話の続きも聞きたくて」
「え?何の話だっけ」
「そうよ、マスターったら酔っぱらっちゃって、話がうやむやになっちゃったのよ」
夕べは旅がしたいという2人の本音が一致して、大いに盛り上がって酒が進んだ。
2人が初めて出会った沖縄の話になり、そこから先の会話を覚えていない。私もまたかなり酔っていたのだった。
「沖縄の話だったよな?たしか」
「そうそう」
「そもそもなぜマスターは沖縄へ行ったのだったかしら?秋田から」
「失恋したって言わなかったか?」
「そうだったかしら」
「旅に出て彼女のことを忘れようとしたんだ。結婚まで考えてたから。もう女はしばらくいいやって思ってたんだよ」
「なのに、あんなこと言っちゃうのよね」
「なに言った?俺」
「目が綺麗だった、って言ったのよ」
そう、初めて沖縄のユースホステルの駐車場で会って、意気投合して居酒屋で飲んでいる時、彼はわたしにそう言ったのだ。
そのユースホステルに2泊することにして、2日目はオートバイ2台で海水浴へ行った。カワサキが前を走り、セローが後ろを追った。
「バックミラーに映ったヘルメットの中の目が、今まで出会った誰よりも綺麗だった。そう言ったのよ」
「俺、そんなこと言ったのか。でもまあ、事実だったと思うよ、それ」
「うひゃー、相変わらずだわ」
「なに照れてんだよ」
「後にも先にもそんな誉め言葉を言われたのはそのとき限りよ」
「それで、コロッと俺に惚れちゃったわけか」
「うーん、言いにくいこと聞くわね」
「惚れたって言うか、なんか、別れ難かったのよ」
「ほんとびっくりしたよ、あの時は」
まさか、わたしが港へ追いかけてくるとは思っていなかったようだ。
お互いに軽く別れを告げ、ユースホステルから彼は離島へ渡る港へ、わたしは本島の北へ向かった。
軽く手を挙げて、バックミラーでお互いの走り去る姿を見届けて。
北へ向かって走るうちに、わたしの目から涙がこぼれ落ちた。一緒にいたかった、彼と。ただそれだけだ。惚れたのかどうかはわからない。
初めて会って、気を遣わずに一緒にオートバイで走れた。海水浴ではしゃいで無邪気に遊んだ。
もしかしたら、男と女であることも関係なかった。たまたま意気投合した、オートバイで旅をする一人と一人。ただそれだけだったのだと思う。
「港に行った時、困った顔してたわよね」
「あ、そうだったかなぁ」
「かなりそうだった」
「実際、困ったんだと思うよ、その時の俺」
「迷惑だったのかしら」
「仕事まで辞めて、女を忘れて心機一転するための旅だったからさ、そりゃ困るさ」
「ごめんなさい・・・」
「でも、内心は嬉しかった」
「そうなの?」
「問題はその後さ、忘れもしない」
「え?」
思い当たることがあった。帰宅してから届いた手紙に、それらしいことが綴ってあったことを記憶している。
「持ち金がほとんど無い俺を島に残して、あんたは一人帰ってしまったんだ」
「だって、割り勘にしようって言ったのに、俺がおごるって一点張りだったから」
離島から沖縄本島へ戻り、東京行きのフェリーに乗ってからのことを彼は知らない。
フェリーのデッキ上で、小さなラジオから地方局の放送を聞きながら一人泣いていたことを。人目も気にせず、とめどなく涙が流れていたことを。
彼を一人残して島を去ったのは、わたしの持ち金もフェリー代とガソリン代を差し引いてぎりぎりだったからだ。
悩みに悩んで、一週間に一航海しかない東京行きのフェリーに乗ることに決めたのだ。彼がわたしを止めたなら、わたしは思いとどまっただろうか。
わたしの前にはウイスキーのボトルと小さなグラス、大きなグラスには氷と水。
「今夜はコークハイの気分なの」
「うん、そうだな、二日酔いだしな」
「レモンも付けてね」
「おお。国産の美味いレモンがあるよ。うきレモンて言うんだけど」
寿司をつまみながら話していたマスターが、最後の赤貝の握りを食べ終えた頃、店のドアが開いた。
入ってきたのは、助っ人さんだった。
「いらっしゃい」
「こんばんは。あ、カモシカさんもいらしたんですね」
沖縄の話は、またもや中断だ。
レモンをたっぷり絞ってコークハイを飲んだ。とびきり美味しいと感じた。
寿司をつまみながら、マスターはお通しを作ってくれた。久々のタコウィンナーだ。しかも中皿に山盛りで。
やる気があるのか無いのかわからない。マスターの調子はまだ戻っていないようだ。
おわり つづくでしょう
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