彼らの旅 私の旅 土砂降りとオートバイ3

2023年1月1日、宮城県の日の出時刻は6時53分。6時過ぎにハマさんのガレージを出た。

 

こんな時こそオートバイで出かけるべきなのだと思ったが、バッテリーは外してあるし、準備が全くできていない。

 

東北の地方都市とはいえ、太平洋岸の南東北は雪が少ない。気持ちのよい冬晴れの日も多い。

寒さと路面凍結を避ければ、オートバイで走るには最適な季節でもあるのだ。

 

自転車を飛ばして20分ほどの、丘の上の神社を目指した。

参道の下に自転車を止め、長い階段を上る。すでに何組もの人が海の見える位置に陣取っていた。

 

人垣の隙間を見つけて私も陣取った。雲が薄っすらとかかる水平線が赤く色付いている。穏やかな元日の夜明けだ。

時計を見た。初日の出まで、あと10分くらいか。

会話する相手も無く、周囲の会話を聞くともなく聞きながら、ガレージでの回想の続きを思い浮かべた。寒さのせいで、小刻みに足踏みしながら。

 

久米島の無人の建物の傍らで、別れ際に彼は私に小さな銀色のプレートを手渡した。

彼の名前と生年月日、ブラッドタイプAと英語で打刻されていた。どこかで作ってもらったと言っていた。米軍のIDタグのようだ。

 

何気なく受け取って、長い間なんとなく大事に持ち続けていたが、今となってはそれがどこにあるのかわからない。

 

彼がなぜそれを自分に手渡したのか、その意味を深く考えることもなかった。それどころか、東京行きのフェリーで他の男性と出会ってしまったのだ。

 

フェリーのデッキの片隅で、通り過ぎる陸のラジオ局の放送を聞きながら、座り込んで泣いていた。

そんな私を気遣って、雑魚寝の客室で毛布を一枚多くかけてくれたのがその男性だった。

 

相手のことをちっともわかっていなかったのは、お互いさまなのかもしれない。いや、私の方か。

 

彼の事を忘れることができないまま、その妙に優しい男と遠距離恋愛が始まった。彼からの連絡も来なかった。

 

彼からの手紙が届いたのは、妙に優しい男との同居が決まったばかりの頃だった。そして私は、地獄の底へと落ちて行くことになる。

 

あの時、沖縄に引き留めてくれたら、私の人生は変わっていただろうか。

 

共に金欠で彼の先輩のいるホテルで働き、一緒に暮らしたか。それとも、仲違いして一生会うこともなかったか。

 

あ、太陽が水平線の上の薄い雲の上から光を放った。新しい年の始まりだ。周囲の人々と共に、目を閉じて手を合わせた。

「暖かい光をいつもありがとうございます。今年も良い年にします」

 

そう心の中で呟いた。

 

そして彼は、いつものバーにいる。私の話をいつも聞いてくれる。たとえ冗談だとしても、私のことは何でもわかるのだと言ってくれる。

 

こうして数10年を経て再会できた奇跡を、幸福と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。

 

自転車でハマさんの家に戻り、家中の窓を開け放った。新しい年の、新鮮な空気を家の中に流し込んだ。

 

ガレージに行き、シャッターを開けた。SRに朝陽が当たって、キラキラと輝いていた。

 

 

つづく  どしゃ降りの回想はこのへんで終了します(^^♪

 

※日の出の写真は2022年12月のものです

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