彼らの旅 私の旅 紅一点

「こんばんは・・・」

「いらっしゃい」

ドアを開けて静かに入ってきたのは、あの彼女だ。いつか、カウンターで綺麗な色のソーダフロートを飲んでいた彼女だ。

カウンターの男たちの視線がまっすぐに彼女に向けられている。料理中のすすきのさんの視線も、手元から離れてちらちらと彼女を観察している。

「マスター、いらっしゃらないのですか?」

「ええ、いま旅に出ているんですよ」

「あ、そうなんですね・・・」

「ここにいるのは、みんな留守番なんですよ」

「マスターに何か用事があったのですか?」

「いえ、ただ、このお店に来たくて来ました」

「あなたもオートバイに乗るんですか?」

カウンターでコーヒーを飲んでいたつわものさんが、彼の隣のスツールに彼女をエスコートしながら、唐突に彼女に質問した。

「いえ、まだ乗っていません。免許もまだなのです」

「そうですか」

「でも、オートバイに乗る人の雰囲気が好きでこのお店に来ているのです」

「そうなのですね」

男たちは一斉に彼女を見て、まるで希望に輝いているような表情をしている。まったく単純だ。男というものは、どうしてこう若い美人に弱いのか。

「好きな人がオートバイ乗りなんですか?」

「いえ、そうではなくて。街で素敵な女性ライダーを見かけたんです」

「そうですか、それで憧れて・・・」

「そんなところです。ずっと年上の方で、とても颯爽としていて、飾り気がなくて、すごくいい表情をしていたのです」

「そう、オートバイ乗りは男も女もそんな感じですよ」

彼女と主に会話をしているつわものさんは、まことに嬉しそうな顔でそう言った。私は、どうにでもなれという気分で言ってみた。

「ご注文は?もう、留守番の仲間に入っちゃいます?良かったら。お酒は飲めますか?」

「いえ、お酒は飲みません。いつものソーダフロートをお願いします。それと、何か食事がしたいのです」

ソーダフロートか。あのマジックアワーのような色の美しい飲み物。私はそのレシピを知らない。断ろうと思った時、ヒーローさんが立ち上がって言った。

「マスターのソーダフロートとちょっと違っても良いですか?」

「ええ、お任せします」

「食事は何がいいですか?」

今度はすすきのさんが調理台の前から声をかけた。

「ナポリタン、できますか?タコウィンナーの乗った」

「オーケー、任せて下さい」

「僕たちはどうしましょう」

ソウルレッドさんが、コーヒーを飲み干して言った。

「のんびりしていて下さい。何かお飲みになりますか?留守番用のボトルとビールが用意してあるんです。もちろん留守番代がわりですから無料なんですよ」

「そうですか。でも僕は車ですから遠慮しておきます。僕もナポリタンをいただこうかな。タコの乗ったやつ」

つわものさんはカウンターの彼女にゆっくりしてくださいと言って、おもむろに立ち上がった。店の隅っこに置いてある道具箱を取ってくると、丸テーブルの足を直しにかかった。

「つわものさんは、もう一泊しましょうよと言ったら、家具の修繕がしたいので帰りたいって言ったんですよ。旅の最中にまで仕事しなくていいのになあ」

「いやいや、これは仕事ではない、というか、僕たちは留守番に来ているんですよ。酒代くらい稼がないと」

「ところで・・・」

「何です?ヤクさん、いやトナカイさん、いやバンビさんだったかな・・・」

「すすきのさん、さすが関西のお人。ボケを忘れてませんな」

私がやっとのことで口を挟もうとしたら、そんな具合だ。ヤクは牛やろ、シカとちゃうやろ、アホか。と心の中で突っ込んでみたが、声には出せなかった。

彼らのやり取りを聞いていた彼女は、ほろりと笑った。

「で、何です?トナカイさん」

「もう、ヤクでも何でもいいですけど、食材のことはどうなっているのですか?マスターに請求するように話が通じていますか?」

「いえいえ、請求などしませんよ。もちろん」

「え?毎日たくさん食材を買ってこられて、しかも旅費まで自腹じゃないですか。それは、とても申し訳ないことです」

「カモシカさんは何も心配することはないですよ」

「そうですよ」

「そうそう」

まるで年を取った純烈のような面々が、一斉にこちらを見て頷いている。私は一瞬ひるんだ。

「僕たちはこの旅のきっかけを貰えただけで十分なんですよ。あと、最高に美味い、ただ酒と」

「そうですよ。この話が無かったら、いつまでも憧れるばかりで東北には来られなかったと思います。食事は旅には付き物ですし、どのみち食費がかかるわけですから」

「肝心のマスターにも会えないのに・・・」

「彼には近いうちに会う予定です。沖縄からの帰りに、うちを宿にするよう伝えてありますから」

「ええ、私もその時に合流できればと思っています。2つ隣の県ですから」

「そうですか。マスターは準備万端、計画は万事整っているというわけですね」

「ところで、あなたはまだバイクには乗らないのですか?」

カウンターの若い彼女に向けられた言葉が、私の心にもチクリと刺さった。

「ええ、まだ決意ができなくて」

「何がひっかかってるんでしょう?」

「怖いっていうんでしょうか・・・」

「私、街で女性ライダーに遭遇するまで、自分が何をしたいのかわかっていませんでした。ただ、人と同じにお洒落して、化粧して、グルメにお金を使って、さほど仲が良くない友達とさほど面白くもないのに笑って。でも、いつも何かが違うっていう気持ちが心の中にあったのです」

「あるね。そういうの。僕たちだって、同じような時があったかもしれない」

「僕には無いですね。気が付いたときには、もうバイクに乗ってましたから」

つわものさんは、強気の発言をした。そうだ、今だ、彼に質問をするのは。私はちょっと大きな声で彼らの会話に割って入った。

「つわものさんは、なぜオートバイに乗っているのですか?」

「僕ですか?きっかけはたいしたことではないんですよ」

「若い頃、バンドやってましてね、その中の一人がバイク乗りだったんです。やたらにカッコ良く見えてね、すぐ真似しました」

「そんなものですよね、みんな。カッコいいことが男にとってはすべてのような時期ってありましたよね」

「今でもそうですよ。いいかげんオヤジになっても心の中ではそう思ってる」

「ふーん」

「はあ」

女2人は、同時にうなった。

ヒーローさんが彼女の前に、エメラルドグリーンのソーダフロートを置いた。どこから見つけたのか、アイスクリームの上には赤いチェリーも乗っている。

私は心の中で、彼女に名前を付けた。エスメラルダ。スペイン語でエメラルドの意味だ。

つづく

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