「あれれ、けっきょくほぼ初日からひとりで留守番なのね・・・」
ゆっくりさんは深いため息をついた。
あんこさんは、夕べたくさんの料理をして冷蔵庫にストックしていた。レンジで温めるだけでいいメニュ―と、そのまま出せる冷製のつまみ類だ。
「まあ、いいわ。そんなにお客さん来ないでしょ」
しかし、えらい混んだ。明らかに常連ではないライダーっぽいお客ばかりだった。
「あの、美人ライダーが留守番するって聞いて岩手から泊りで来たんですけど・・・」
そんな客もいた。遠くは千葉県や神奈川県からも来ていたようだ。残念ながら彼らの話を聞く余裕は、ゆっくりさんには無かった。
ジョッキにビールを注ぎ、溢れさせて床はびしょびしょ。お通しもこぼして、ぐだぐだになりつつある。
1人で手に負えないと諦めかけた頃、浜のドラネコさんが勢いよくドアを開けた。さっそくカウンターに入ると、首に巻いていた手ぬぐいをねじり鉢巻きにして奮闘してくれた。
手慣れた様子で、お通しや温めた料理を綺麗に盛り付けた。飲み物と、料理を運ぶのがゆっくりさんの仕事だった。
のんびり飲んでいる3人ほどの客がいたが、気分的にやっと落ち着いた頃、ドアが開いて1人の男が入ってきた。ヘルメットを持っている。閉店予定の1時間前だ。
え?とゆっくりさんは心の中でがっかりした。
「バイクですか?」
「ええ、なので酒は飲めないのですが、ちょっと腹が減ったので寄ってみました」
「エンジンの音が微かに聞こえたんですが、ちょっと見に行っていいっすか?」
「ええ、どうぞ。店の前に止めたのですが、大丈夫でしょうか?」
浜のドラネコさんはカウンターから出ると、店の外に出ていった。
「おお、すごい、始めて見ましたよ。本物を」
「そうですか。もう何年も乗ってる愛車なんですよ」
「え?あたしも見てくる」
「女性には不人気なんですよ。なんとなく。でかいコオロギみたいとか言われたりして・・・」
その客は、ふいに思い立って、関東から北海道へ自走して行く途中だと語った。SNSでこのバーのマスターの呼びかけを目にしたらしい。
浜のドラネコさんが見せてもらったスマホの画面には、こう綴られていた。
〈bar_nの留守番さんたちへ、7月○日〇曜日、北海道の○○キャンプ場へ集結してください。日ごろのお礼に、飲み放題食べ放題で美人ライダーがおもてなしいたします。キャンプ道具は各自持参でお願いします。この際、留守番経験なしでもOK!〉
「マスターったらいいかげんなことばっかり。だれが美人ライダーなのよ。あっちもこっちも。いい迷惑だわ・・・」
「いやいや、あなたもモデルのようですよ。スタイルはいいし、モデル顔じゃないですか」
「はぁ、そうですか?単なる男顔ってやつだと思うんですけど」
「僕が言うのだから、確かですよ。業界にも顔が広いですから」
「で、何を召し上がりますか?」
「うん、そうだな、名物のタコウィンナー乗せナポリタン、できます?」
「OK!」
「飲み物は、ジンジャーエールで」
「今夜は泊りじゃないんですか?」
「ええ、特に宿は取ってません。腹ごしらえしたら、また走ろうかと」
「夜通し走るんすか?」
「いや、さすがに年ですから今の気分では長者原SAの旅籠屋で休もうかと思っています」
「はい、特製ジンジャーエール。マスターが仕込んだ生姜シロップ入り」
「おお、これは美味い!」
その日、あんこさんは早朝にハマさんの家を出発して、一路東北自動車道を北上した。トイレ休憩と1度の軽い食事を覗いて、爆走し続けた。
「気持ちいいー!もう最高!」
天気は上々、梅雨の中休みなのか東北ならではの気候なのか、青森へのツーリングは行きも帰りも晴れか曇りの天気予報だ。気温は最低で10℃台半ば、最高が20℃台半ば。ほぼ快適だ。
「ずっと遠いと思っていた青森も杜の都からなら300kmちょっとなのね。家からここまでの距離と比べるとなんて近いのかしら」
「それになんて美しい風景なの!どことなく四国にも似てるけど、山の形が丸みがあって柔らかい優しい感じがするわ。視界が緑と空の青でいっぱいね」
快調に爆走を続けたあんこさんは、午前中のおやつの時間には、もう青森の親戚の家に着いていた。お茶と菓子でもてなされ、その可愛らしさに感動した。
「これ、何ていうお菓子ですか?」
「金魚ねぶたっていうんだ」
あんこさんの青森ツーリングの目的は、お墓参りと親戚に会うことと、お菓子をできるだけたくさん食べることだった。
つづく
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