穿きこなしたノーブランドの安いジーパン、洗いざらしの白いTシャツ、圧迫感の無い風景を最大限に見渡せるシンプルなヘルメット。足に馴染んだ年季ものの革製のロングブーツに簡素な革のグローブ。
そんなイメージにピッタリ合ったオートバイといったら、旧車か製造終了したオートバイの中にしか見あたらなかった。
技量もないメカにも強くない自分が、もしもどこかひと気の無い道でトラブったら、そこで旅は終了してしまうだろう。運が悪けりゃ人生そのものも終了だ。
乗り心地の良い、技量も特に必要としない性能の優れた新しいマシーンはいくらでもあるようだ。しかし、どれもピンとこなかった。心が惹かれないのだ。そればかりは、いくらイケメンの店員に勧められても心は動かない。
トラブル多いですよ、メンテに手がかかるし金もかかるだけでお勧めしません。たいていのショップの店員はそう言うだろう。
だけど、それは自分の人生とか今の体力とか雰囲気にも言えることで、そういうオートバイこそ今の自分にはふさわしいとしか思えなかった。
例えば、峠のワインディングをゆっくり慎重にクリアしてホッとした瞬間に、プスプスと異音を発して、ついにはエンジンがストップしてしまう。
私はしょうがねーなーと声に出して独り言を言い、ほんの気休めにエンジン回りや電気系統を確認する。奇跡を期待してキーを回しキックペダルを2,3度踏み下ろす。エンジンはかからない。
道の端に寄せて止めたオートバイと風景を見渡せるガードレールに腰かけて、途方に暮れるでもなく、ぼんやりとその風景や空の雲などを見て過ごす。
誰かが来るのを待つでもなく、腹へったなとか小さく呟いたりする。そのうち陽光が気持ちよくなって、昼寝でもしようかと思いつくが、寝られそうな場所はみつからない。またぼんやりと空を見る。
微かに音が聞こえてくる。エンジンの音だ。そこそこ大きなエンジンの威勢のいい音だ。音はどんどん近づいてくる。ワインディングの曲線とアップダウンに合わせて音は変化を繰り返す。オートバイだ。
音の方に視線を向けていると、不意にカーブを抜けて緑色のフルカウルが通り過ぎて行った。
あきらかにびっくりした表情のライダーが、視線の先に停車した。彼は小走りで近づいてくる。
「どうかしましたか?怪我は無いですか?」
黒いレザーのライディングスーツのライダーはヘルメットを脱いだ。青年だった。
「なんか、エンジン止まっちゃったんだよね」
「転倒とかじゃないんですね?」
「そうそう。プスプスプスって、止まったのよね。ほら、古いでしょこれ。仕方ないのよね」
「たしかに古いっすね」
そう言うと、青年は私のオートバイに近づき、周りをぐるりと観察する。プラグを抜いてバンダナでぬぐっている。またがってキックペダルを絶妙なタイミングと力具合で踏み下ろす。
プスっといった気がした。しかし、エンジンは始動しない。
「だめですね。やっぱ」
「でしょ」
「どうするんすか、これから」
「どうしようかね。でも、いつものことなんだよね、これ」
「そうなんすか?」
「そう。しばらく休むとまた動くみたいな感じ」
「え?マジすか?」
「まあ、年寄りってそんな感じでしょ。死んだかと思ったらまた山上ってるみたいな老人いるでしょ。バイクも人間と同じ。それより、お腹空いて困ってるんだよね」
「え?・・・そう言えばもうすぐ昼ですね」
「もうそんな時間?じゃあ、頑張ってみるか・・・」
私はヘルメットをかぶり、グローブを両手にはめて、愛車にとぼとぼと近づき、ため息をひとつつく。
ゆっくりと跨って、キックペダルを一度ゆっくり踏み下ろし、おりゃー!と声をあげると同時にキックペダルを踏み下ろす。
ブロロロンと、小気味良いエンジン音が響き渡った。
後方で青年が拍手している姿がミラーに写っていた。青年は笑っていた。とても素敵な笑顔だ。
「止まってくれてありがとう!」
振り向いて大きな声で叫びながら手を振った。私は青年を置き去りにしてオートバイをスタートさせた。
ほどなく前方に小さな食堂が見えてきた。迷わず私は駐車場に入った。ヘルメットを脱ぎ、ミラーを覗いて前髪を直していると、駐車場に入ってくる緑色のオートバイが見えた。
「おいてくなんてひどいっすよ」
先ほどの青年だ。満面の笑みだ。
「俺も腹へってるんで、飯にします」
私は可愛い青年を前に、支払いを気にしながらきのこ定食を食べた。青年はカツ丼大盛り、気持ちいいくらいの食いっぷりだ。
もちろん、私のおごりに決まっている。
「ご馳走さまでした。ほんと、カッコいいバイクっすね」
「君のオートバイもね。すごい似合ってる」
片手をさりげなく上げて、彼は勢いよく走り去った。
私はと言えば、はあ・・・またエンジンがかからない。
店に戻って、興味のない岸田総理のニュースをぼんやりと見ながらコーヒーをゆっくり飲んだ。
おしまい
どしゃ降りとオートバイbarシリーズも不定期に続きます。妄想ショートショートもそんな感じです。どうぞ、お楽しみください。
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