北海道の真ん中へん。ちょうどへそのあたりのキャンプ場に、その夜は懐かしい顔ぶれが集まった。とはいえ、昨年のメンバーの半分くらいの参加者だったが。
遠く西日本から参加のススキノさんは、既に北海道入りしていて予定のルートをほぼ走り終えていた。ほとんど毎日雨か曇りだったらしいが、たまに晴れるとすがすがしい北海道の空が美しかったと言っていた。
さらに遠く四国から参加の女子も、東北を旅した後に北海道へ足を延ばしてくれた。旅の疲れも全く見せず、料理の腕を振るってくれた。関東、東北勢は、例年にない猛暑に少し疲れ気味の表情だ。
昨年、barで留守番してくれた浜のドラネコさんもご機嫌な顔でウヰスキーのカップを傾けている。助っ人さんとぼそりぼそりと語らいながら。ソーダ水の君は、既にねむかけをしている。
マスターは意外にも、せっせと働いていた。酒を配ったり、ちょっとしたカクテルを作ったり。満足げな顔で、とても楽しそうに働いていた。
大きな盛り上がりは無かったと言いたいところだが、特別な参加者がいたおかげで、終始彼らの思い出話をしみじみと聞き、遠い国へ、朽ち果てていく一台のバイクへと思いを馳せる夜となった。
終盤、そろそろ燃え尽きようとしているキャンプファイヤーをどうしようかと思い始めた頃、驚くべき参加者が登場し、再び新しい薪が赤々と燃え盛る夜となった。
(↑HD公式サイトより)
☆宴その1☆
その日、苫小牧港に着いた私たち4台は、行き先が同じはずなのにバラバラの方向へ走り出した。昼食すら一緒に取ろうとはせず。
ソーダ水の君は夕べのバイキングに飽き足らず、朝食もしっかりバイキングを堪能していた。前日に私と助っ人さんが、ソーダ水の君との再会を思い詰めている青年の相談を、2時間も聞いていたとは知らず。女子は強いなあ。
で、3台のオートバイはどこをどう走っていたのか知らないが、私は素直に最短ルートを穏やかに走り、早めに着いてテントを設営し温泉に入って昼寝した。
涼しい風が吹き始め、太陽が西の彼方へ沈もうとしている頃、大排気音が響き渡って目が覚めた。他に、騒いでいる人の声も聞こえた。
あれ、あの音は?!
飛び起きて、テントのチャックを慌てて開けた。首を出して周囲を見渡すと、やはりそうだ。とんずらさんのブレイクアウトと、KくんのW650がゆったりとこちらへ走ってくる。
ああ、マスターが言っていた特別ゲストって彼らだったんだ。船上でにやにやしながら、喉元まで出かけた彼らの名前を飲み込むマスターの顔が憎らしかった。が、サプライズに心が高鳴ったのは確かだ。
テントから慌てて抜け出し、頭ボサボサ寝起き顔のまま、彼らの傍で私は棒立ちになっていた。ヘルメットを取った2人の顔は、浅黒くまさに漢そのものだった。
「おかえりなさい!いつ帰られたのですか?」
「さっき」
とにやにやしながら、無精ひげを生やした少しおっさんになったKくんが言った。
「いやいや、Kくん、ジョークが過ぎるよ。一週間ほど前に羽田に着きました。それから大急ぎで自分のバイクをメンテナンスして、予約していたフェリーに舞鶴から乗船したんです。2日ほど余裕があったから小樽のホテルでひたすら寝てました(笑)」
「僕は、実家に帰ってバイクショップに預けていたこいつを引き取ってきて、陸路を走って大間からの船で北海道に渡りました。アメリカを走った感覚だと、うちから北海道は一日コースですから」
「ひー」
私は絶句した。いつの間に着いたのか、参加メンバーのほとんどが彼らを囲んで唸りながら感心した顔をしている。
ススキノさんと四国女子は既に旅の終盤だが、他の参加者はこれから旅を始める者ばかりだ。つのる思い出話もさほど無く、終始とんずらさんとKくんのアメリカ縦断の話で盛り上がった。
彼らの旅の最終目的地のウィスコンシン州ハーレー・ダビッドソン博物館で目にした、あの津波ハーレーは、旅の前に見た写真よりずっと朽ち果てて、もうすぐ本当に土に帰りそうな様子だったと、とんずらさんはしみじみと語った。
ケースに収められた津波ハーレーを実際に見た時、ケースの前で立ち尽くし、言葉も出ず感情をコントロールすることもできず、ただただ見つめているうちに涙が溢れてきて止まらなかったと語った。
傍にいたアメリカ人のスタッフは、不思議そうに「彼はなぜ泣いているのだ?」と質問してきたと、Kくんは言った。
私には、とんずらさんの両目に映るキャンプファイヤーの炎が、ゆらゆらと揺れているように見えた。
スケールの大きな話と、地球そのものを感じる星空の下で、私たちは特別な時間を過ごしていた。もちろん、ちびちびと飲む酒は極上で、持ち寄ったつまみや、たまに立ち上がって誰かが即席で作ってくれた料理はどれもこれも美味かった。
「僕たちの話は、こんなところです。最高の旅でした。ね、とんずらさん」
「ええ、本当にこんな機会が与えられたことに感謝しています。息子のいない私が、亡き友の息子と素晴らしい旅ができました。今は亡き親友に、この酒を捧げます」
そう言ってとんずらさんは、地面にグラスのウヰスキーを注いだ。
私は2度目の涙が流れて止まらなくなった。
ちょっと前、1人でトイレに行った時、星空を見上げながら歩いていた。急に、幼少の頃の想い出が蘇ってきた。母の生家の田舎に、墓参に来た家族とともに帰らず、1人居残り夏休みを過ごした頃の想い出だ。
夜中にトイレに行きたくなると、外にあるタメツボに板を渡しただけのトイレに行くのが怖くて、私は玄関先の階段のど真ん中でおしっこをするのだった。
ついでに、おしっこをした場所からちょっと上の階段に座り込み、星空をずっと眺めるのが好きだった。流れ星をひとつ、もうひとつ見てから寝ようと決めてもキリが無く、ずっと座り込んで星空を見上げていた。
そのうち、従兄が起きてきて隣に座り、流れ星を10個くらい数えた頃、もう寝ようと言われて布団に戻るのだった。
思い出しながら涙がとめどなく流れてきた。素晴らしい体験を、私は子供の頃にしていたのだ。蛍の光で出来た自分の影を見たこともあった。本当にあれは、蛍の光の影だったのかな?
何もいいことなど無かった、辛い幼少期だとばかり思いこんでいたけど、そうではなかったのだ。
炎で赤く染まっていた皆の顔が、炎が小さくなっても、頬が赤く染まったままだった。言葉の要らない時間が訪れていた。
しばらくして、酔いが回った輩がまた例の古傷自慢を始めるか、あるいは静かに火を消して、しみじみとした思いを胸にそれぞれのテントに潜り込むか。そんな雰囲気に包まれていた。ふと、微かに排気音が聞こえてきた。
バイクの音だ。400㏄くらいか?1台のようだ。こんな時間に着くバイク乗りもいるんだな。と思ったが、今夜はこのサイトは私たちだけの貸切だったことを思い出す。
誰もが音のする闇に続く道を見つめている。一台のオートバイの丸いライトが煌々と光ってどんどん近づいてくる。
「あ、あれは!!!」
「おおお、もしやあのバイクは!!!」
つづく
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