彼らの旅 私の旅 北海道と私の微妙な関係(創作です)

朝起きたら、皆もう出発して誰もいない。まだ午前8時過ぎだというのに。

夕べ集まった大半のライダーは、北海道ツーリングの始まりだから、それぞれの方向へ出発したと思われる。

ススキノさんは小樽から帰りのフェリーに乗る前に寄るところがあると言っていた。たぶん、いつものところだろう。

マスターとソーダちゃんと助っ人さんたちは、どこへ向かったのだろう。そういえば、夕べのフェリーでも何も聞いていない。まあ、自由気ままでいいけれど。

さて、私はどこへ行こうか。実は今回の北海道ツーリングの予定は、何も決めてこなかった。2度目の北海道。正確に言うと3度目だ。

1度目はバイクではなかった。

就職に失敗した私は、適当なバイトをしながらバイクの免許を取ったり、住み込みのバイトへ行ったりしていた。

これでも1度は就職というものをしてみたのだ。地元では女性初のOA機器の営業職というやつに応募して、採用された5人のうちの1人だった。

もともと望まない就職だったから、1ヶ月で辞めた。辞めると言った時、イケおじ支店長に呼ばれて説教された。

「はい、はい・・・」と泣きながら話を聞くともなく聞いていた。けっこう長い時間で集中力も途切れ、話の内容は軽く受け流していた。

途中で「君は本気で恋愛したことがないのだろうね」という言葉が耳に飛び込んできた。

は?何を言っているのだこのオヤジは。顔を上げて、支店長の顔を2度見した。しとしとぴっちゃんの俳優のような、整った顔がそこにあった。一瞬にして涙が止まった。

無意識に「はい」と返事をしていた。

要約すると、本気で人を好きになったことがないから考えが甘いのだ、嫌なことをすぐ諦めて辞めようとするのだ、という意味だったようだ。かなり長い説教の、その部分だけは今でも覚えている。

会社を辞めた年の冬本番になる前の頃、雑誌の募集を見て北海道の住み込みバイトに応募した。バイト代無しの住み込みだ。

報酬の代わりに寝床と食事の提供と、丸太小屋づくりを教えてもらえるという条件だった

当時の私は、一人旅に夢中で、ユースホステルを主に利用していた。宿をやるのもいいかもなと、うっすらイメージしていたのだ。

宿をやるなら、丸太小屋風がいい。どうせなら、自分で建ててしまったらどうだろう。

いま思えば、現実逃避に他ならない。一般の仕事に就職する気が無かっただけだ。かといって、特技も無く特性を生かせる仕事も何もわかっていなかった。

フリーターの実家暮らしも惨めだったし、親に反抗していたせいもある。夢を追いかけるという理由をつけて、逃げるように北海道へ向かうフェリーに乗ったのだ。

なぜか話は大げさになり、反抗していた両親とあまり仲良くできなかった年の離れた妹が見送りに来た。

それどころか、古い友人たちが仕事の帰りに息を切らせてフェリーの中までやってきて目を潤ませていた。土産もたくさんもらった。

そんなこんなで、私は無事苫小牧港へ着くと、電車に乗り、最寄り駅には車で迎えに来てもらった。

着いてみると、丸太小屋のペンションどころか、普通の喫茶店を併設した簡易宿泊施設だった。

その後は、休みも定められないまま働き続ける。喫茶店の手伝い、宿の掃除、宴会の世話、薪割り等々。高校生の息子の林道無免許ドライブの助手席も務めた。

疲れ果てたある日、宴会の翌日だったと記憶する。宿の部屋掃除をしていて、あまりの疲労感に、鍵をかけて昼寝を決め込んだ。

間が悪いもので、宿の主が呼んでいると誰かが探しに来た。鍵をかけて寝ていたことがバレ、というか自白して信頼を大きく失った。

いや、その前に、街の観光協会のお偉さんがご馳走してくれるからと、主と共に寿司屋に行った日があった。寿司は高級な雰囲気で、とても美味しかった。

お偉さんは、どんどん食べなさいと、まるでわんこ蕎麦のように勧める。そのたびに、もうお腹がいっぱいで無理だと伝えても、まだ食べろと勧めてくる。

じゃあ、もう一つと言っているうちに口から出そうなほど食べていた。

その夜、居候先に帰る途中の車の中で、宿の主が言った。

「ああいう時は、遠慮するものだ。見ていて呆れ果てた」

だったら止めろよ。心の中で毒づいた。しかし、最後に食べたプリプリの大きな生きの良い海老の美味しさは忘れられない。どんなに叱られても、食べられて良かった。

話は戻って、昼寝事件の後、さらに信頼を失った私に主は言った。

「毎日々々、ずうずうしく飯を食らいやがって」

休みが無いから疲れ果てましたという私に、さらに言った。

「休みが欲しけりゃ言えばいいんだ」

は?丸太小屋作りはどうした?バイト代も無い、ただ働き。飯くらいしか楽しみ無いんだよ。飯くらい食べて当然だろう?何をしに来たと思ってんだ?と、心の中で毒づいた。

誕生日が同じ奥様は、謝ってしまいなさいと小声で促す。しかし、その日は私の誕生日でもあった。静かに、こう言って終わりにした。

「辞めます。明日帰ります。もういいです」

翌日、居候先から小さな荷物を持って、長い坂道を歩いて下り、駅へ向かった。

それから40年ほど経過。その間、北海道へ行きたいと思ったことは1度も無かった。

「おはようございます」

後ろから声がした。

あ、つわものさんだ。

「まだいらしたんですね」

「ええ、皆走りに行っちゃいましたね。僕は2日間まともに寝てないので、今日はここでずっと寝てようと思います」

「そうですか。奥様とは明後日合流でしたね」

「ええ、妻は飛行機で来るので、レンタルバイクです。夕べは疲れてて、うっかり妻もフェリーで来るようなこと言ってしまったようですが」

「楽しみですね」

「はい。北海道を走るのも、2人でまともにツーリングするのも、30年ぶりですかね」

「えええ、そんなに!」

「じゃあ、お先に行ってきます。良い旅を!」

「良い旅を!飛ばさないように!」

さあ、どこへ向かおう。過去の思い出の地へでも行こうか、いや、楽しい思い出ではないから、それはやめておこう。

ふと、一本の道が頭に浮かんだ。ああ、またあそこへ行きたい。あの道。

私は北へ進路を向けた。行けるところまで走って、そこで宿をとろう。どこかで昼ご飯を食べる時にでも予約をしよう。

電波が届かない時のために、地図を持参していた。その地図にはガソリンスタンドとその営業時間、宿の場所と電話番号をメモしてある。最悪の場合は、民家に飛び込んで固定電話を借りればいい。

それが許される気がするのが、北海道だ。時には、見知らぬ他人に甘えたり頼ったりすることも、許されることがあっても良いのではないか。そう思える大地なのだ。

つづく

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