10月もまだ暑かった。でも少し、過ごしやすくなったのかな。風が変わった気がした。
バイクは乗るほどに調子がよくなってきた、気がする。
ジャケットをジージャンから3シーズンジャケットに変えた。
自分が慣れたためもあるだろうけど、エンストやエンジンの不調を感じることがほとんどなくなった。
10月5日(土)
いつものように、早朝出発。閖上へ向かう。
第一目的地、ライダーズ神社、閖上湊神社へ。
神社は辛うじて売店が開いていて、人はいなかった。お守りをいただこうと思いベルを鳴らして購入。会話も無し。あまり歓迎されていない風だった。
おばぁさんだからかな、朝早すぎるからかな、いろいろマイナー思考してしまった。
壁には参拝した笑顔のライダーたちの写真がたくさん貼られていたから。
すぐ近くのかわまちてらす閖上に立ち寄ってコーヒーでもと思ったが、開店まで2時間もある。
トイレを借りて移動。ちょっと先のメイプル館へ行ってみる。
メイプル館の手前には閖上 日和山の閖上湊神社と富主姫神社。このあたりは震災メモリアル公園となっている。トイレもあるのでありがたい。
メイプル館は一見パッとしない施設だが、海鮮丼の種類が多すぎで頭が混乱する。
空腹だったので本日のお得な丼を食べることにした。1100円。キムチ食べ放題のお店。
メイプル館にはお気に入りの珈琲店がある。ROAST STAGEさん。本日のコーヒーはいつもとても美味しい。この日は、ウヰスキー樽で熟成させた?コーヒー豆。とても良い香りがした。
ロケーションもお気に入りだ。閖上港、広浦を見渡す岸壁に、日祝に開催される朝市で買ったものを食べられるイスとテーブルがある。
おいしいコーヒーを飲みながら、ぼやんと時を忘れて過ごせる場所なのだ。
遠くへ行くだけが旅じゃない。近くにあるのにバイクじゃないと行けなかった場所がたくさんある。そしてそこはとても素敵な場所だったりする。
バイクがあってありがとう。
10月12日(土)
ちょっと距離のある場所へ行ってみることにした。
南蔵王の不忘の湯へ。
バイク女子時代に好んで走った蔵王七ヶ宿線沿いにある。
バイクにも道路にもかなり慣れてきたとはいえ、早朝空いているかわりに飛ばす車の多い時間帯、できれば峠のギザギザ路面も避けて走りたかった。
というわけで、メインの道路を外れて、秋保から県道160号線を選んでみた。
南北に走る道は、朝陽が横から差し込んで、サングラスをしていても木陰と陽ざしを繰り返して前が見えない瞬間が多い。
繰り返す細かいカーブの先が見えず、トロトロ運転だ。
やっと山道を抜けると山に靄が立ち上っていて感動的だった。
さらに進むと釜房ダムがある。
釜房湖も幻想的に靄っていた。朝はこれだから好きだ。
更に進んで遠刈田温泉へ。この温泉街もかなりお気に入り。
いつもの刈田嶺神社さまをお詣り。
本日の無事、素晴らしい一日に感謝する。
陽だまりの快適な道を順調に走っていたはず・・・しかし、どこをどう間違えたのか、地図をチェックして思い描いていた通りのルートから外れ、白石市内へ降りていた。
とりあえず七ヶ宿を目指して逆方向から温泉を目指すことにする。
道の駅 七ヶ宿に到着。トイレへ駈け込む。
後で気付いたが、バイクをとめる場所は別にあって、たくさんのバイクが並んでいた。
バイク乗りがたくさんうろうろしていた。やっぱり苦手かも。これじゃ、友達できないね。
といいつつも、彼らをチラ見しながらしっかりおやつタイム。美味しかった。土産に買った「くりを」がとても気に入った。
ほんとうなら、七ヶ宿名物の蕎麦を食べにも行きたかったが、メインの目的地を目指して走る。
こじんまりとした温泉。不忘の湯。
走り疲れた身体に気持ちがいい。至福の時だ。
先に入っていた女性と脱衣所で会話。昔バイクに乗っていたらしく、もう卒業しましたと言う。30代くらい?年とったらまた乗りたくなりますよ!私なんて還暦過ぎてますから~と毎度の挨拶。
湯上りに休憩コーナーに行くと、バーベキュー中の管理人さん一家?の女性が一杯の水をくれた。
男性は、バイクを褒めてくれ、トライアンフ?と言う。かわちいカワサキですよ!と毎度の返答。
南蔵王の道は思い出の深い道で、懐かしい気持ちで走るはずだったのだが、帰り道もまた迷い、予定外の道で再び白石の街へ降りてしまう。
とはいえ、高原の道路はとても美しいし、緩やかなワインディングが私の好みだ。
行ってみたかったレストランも見つけられず、コンビニで空腹を満たす。4号線沿いのその店は、親切で感じが良かった。
朝のSNSでラーメンが頭に焼き付いていて、レンチンのラーメンを食べた。美味しかった。
10月14日(月)
注文していた冬用のイージス防寒スーツを取りにワークマンへ行った。ライダー仕様、上下で5千円以下のコスパの良さ。カッコ良さは二の次だ。
店の駐車場で大型の年季の入ったBMWに目が留まる。
無理に引き留めて、ライダーさんと少し会話。同年代風のおやっさん。ぶらぶらしに来たとのこと。
10月15日(火)
関山越え、芋煮と東根よってけポポラが目的。48号線をひた走る。
少しずつ遠くへと行動範囲を広げていく日々。
やっと峠越えができた。なんとなく避けていた峠越え、県境越えは、あっけなく快適だった。いままで走ってきた3ケタ県道よりずっと走りやすかった。
後で聞いた話だと、国道48号線は工事を繰り返し、昔より走りやすい道に生まれ変わってきたらしい。どうりで、記憶の中の印象とどこか違っていたわけだ。
一つめの目的、芋煮定食。
Googleマップであたりをつけていた関山の大滝ドライブインへ。
え???芋煮定食やってないんですか。。。
というわけで、急遽煮込み定食に。じっくり煮込まれたもつ煮込みは美味しかった。
道路向かい側に滝を見に行って、開店早々の大滝ドライブイン 泉やをチラ見。
ひょっとして、と聞いてみると、芋煮定食やってるとのこと。後で来ます!と返答して、東根のよってけポポラへ。
よってけポポラはJAがやっている産直マーケットだ。美味しそうな農産物、特に果物がたくさん売られている。ジェラートも美味しい。
紅玉とブドウの小パックを買って、ジェラート食べて、来た道を引き返す。
県道29号線はコスモスラインと名付けられているらしく、両側はコスモスが満開。
芋煮ははずせない。一番の目的だったから。
泉やは店内の席から大滝が見える、意外に素敵なお店で、おでんその他の料理も美味しそう。
昔から何度も通っている国道48号線のこの場所は、いつもトイレ休憩だけして素通りしていた。実は最高のお店だったことを知る。
芋煮は定食にもできたが、さすがにまだ朝食の満腹感が残っていたから単品にした。口から出そうなほどの満腹感で帰路を走る。
10月24日(木)
エスプレッソツーリングを試みるも、良い場所がみつからず断念。
目星をつけていた場所からさらに進んで、定義山をお参りして帰る。
雲が綺麗な空だった。




定義如来、西方寺は平家ゆかりの寺院で、800年の歴史があるそうだ。
名物は、地元民ならほとんど知っている、三角油揚げ。素焼きしたのを醤油で食べる。今日は食べずに帰る。
今年はなぜかダムに縁がある。
定義山へ行く道も大倉ダムを通る。
水色の橋が美しかったり、帰り道にはダムの真上を通るという貴重な体験もできる。
国道48号線を逸れて奥へ奥へと入り込んでいくのだが、意外にもその先の里山には集落があって、普通に人が暮らしていることにちょっと驚く。
10月26日(土)
例にもれず、10月は食欲の秋だ。芋煮の次はさんまだ。旬のさんまを食べに行った。
200円も出せば買えるさんまだが、どうしても水揚げされる地元で食べてみたかった。
というわけで、女川へ。バイク復帰して一番の遠出である。往復145km。
SNSのライダーさんたちに言わせれば、お散歩程度の距離だろう。
だけど、25年ぶりにバイク復帰した自分には、かなりの冒険だった。道も計画的に整備された上に震災を経てかなり昔とは違っていた。
ひたすら45号線を北上と思っていたが、途中道を逸れて予定外のルートを走る。本当なら石巻湾を見ながら走りたかったのだが。
効率よく三陸方面へ行く道はいくつかあるが、わたし的には45号線、塩釜港、松島海岸沿いを走りたかった。
例にもれず、この街もまた震災遺構だ。新しく道の駅ができ、震災遺構の展示もある。
私の記憶には全く無い風景だ。
道の駅で魚フライセットを買い、目当ての食堂が開店するまで駅舎にある女川温泉ゆぽっぽへ。
さほどの寒さではなくても、冷えた身体に温泉はたまらない。たまたま風呂の日で割引料金だった(ラッキー)
Googleマップで見つけた小さな食堂へさんま定食を食べに行く。
しばらく待っていると、さんまの刺身が出てきた。たしか注文したのは焼きさんまだったけど・・・え?と尋ねてみると、さんま定食とは2尾のさんまで刺身と焼きがセットになっているとのことだった。
鰯アレルギーの私は、大事をとって泣く泣く辞退。生は青魚全般やばいので。
刺身は店内にいたお客様にサービスとなった。料金も差し引いてくれた。
女性店主によると、今期一番美味しいさんまとのこと。小ぶりだったが私にはちょうどいい。しかし、途中いつもの胃痛が始まり、味わいきれなかった。
帰路は標識任せで仙台へ向かう。やはり石巻港を見渡す道は通らなかった。地図を読むのが中途半端なのだ。かといってナビなどに従う気も毛頭ない。
途中休憩で塩釜港のマリンゲート塩釜に立ち寄り、アイスクリームタイム。
ここも大好きな場所だ。いつも活気があまり無いけど、妙に落ち着く場所。
こうして2024年10月も終わった。バイク復帰5か月目にして、ぼちぼち遠出が始まった。
やっと100km超えが普通の感覚になってきた。猛暑のせいもあるけど、これまでは早朝出発して昼前には帰宅できていたから、さほどの距離は走っていなかったのだ。
おわり
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