「寒い~、今日は暖かい何かを飲みたい気分」
「じゃあ、スパイクトホットサイダーってのどお?」
「それなに?」
「リンゴジュースとラムといい香りのスパイスたちのカクテルさ」
「いい感じ~。あと、いつものタコウィンナー&焼きそば、かな」
「それで三陸ツーリングはどうだったのさ」
「もう、最高だったわよ。奇跡的に3日間ずっと快晴で気温も高めで」
「だったよな。日ごろの行いってやつか」
「なんかね、やっぱり導かれたっていうか、神々の存在を感じたっていうか」
旅のテーマは、海沿いをゆっくり走り、港町でまったりすることと、獲れたての魚介たっぷりの食事を堪能することだった。誕生日の数日前の2泊3日の旅だ。
一日目は気仙沼泊。港を見下ろす丘の上の温泉のあるホテルだ。室内の大浴場からも露天風呂からも、漁港と目の前に停泊する漁船が見え、部屋の大きな窓にも港の風景が広がる。
温泉には夕方、夜、早朝、チェックアウト前の4回入った。夜は特に素晴らしかった。露天風呂で見上げた空には細い三日月と木星が輝き、その下を強風で落ち葉が舞っていた。
朝は激しく立ち上る湯気の向こうに青空が広がっていた。そして、眼下には出航の準備をする漁船が並ぶ。
当然、あっちからも見えているだろう。でも、もういいや、そう思えるシチュエーションだった。漁師さんありがとう!感謝を込めて、おっぴろげだ。
チェックアウト後もホテルの駐車場にバイクを置かせてもらい、港町をぶらぶらと歩いた。
気仙沼港を見わたすカフェで、今回旅の共にした「旅だから出逢えた言葉」伊集院静を読む。時が止まったような時間を過ごした。
2つめのの目的地であったバイクのあるカフェを先に見つけることができなかったが、その店の階下にあったらしい。次回の課題とする。
カフェを出てホテルの窓からもカフェからも見えていた神明崎まで行ってみることにした。予定には無かったが、足がそちらに向いたのだ。
赤い欄干のある場所に着くと、漁船の出航合図が聞こえてきた。マグロ船だろうか、見送りの人々と船がテープで繋がっている光景を生で見たのは初めてだ。派手な音楽を流し、汽笛を響かせて船はゆっくりと出航していった。
鳥居を前にして、ためらった。やめておこうと思いながらも足は岬の上へと向かう。鳥居の内側には急な坂道が見えていた。
無事、猪狩神社と五十鈴神社をお詣りして神明崎を後にする。導かれたのなら、参詣はすべき、それが私の選択だ。
港町は素敵だ。歩く人は少なかったが、3.11の津波被害に負けずに残っている建物も一部修復されて残っているらしく、風情のある街並みが続く。一方、新しく整備された港風景も清々しい。
昼になった。夕べ食べそこなった牡蠣を食べようと決めた。店舗をいくつか覗いているうちに、地元の商店が集まってできたであろう集合建築を見つけた。
その一階にある食堂の牡蠣フライ定食は、向かい側の観光施設にある店の同メニューの約半額であることに気づき即決。
地元のお母さんの作る熱々の牡蠣フライは美味かった。カウンターの隣では、高齢女性に熱心に保険を勧める女性が話し続けていた。
食後ゆっくり歩いて、夜はネオンが灯るであろう街に着く。普通の喫茶店のような風情で、ヴァンガードがあった。
店内には明るい空気が満ちていた。照明が明るいのではなく、客数が少なくなかったのだ。店主2人の雰囲気も活気があった。
その店は、私の生まれた年の6年後に開店して、東日本大震災の津波被害にも負けず、震災の4ヶ月後には営業を再開したという特別な店だ。
一番奥のカウンターへ座った。静かにコーヒーを飲んでいると、店主が雑誌を数冊持ってきた。これはというお客さんに勧めているんですが・・・とページを開いて渡される。真面目に読む。一冊目は最近できた展示館の記事だった。
2冊目はこの店を紹介した地方誌だった。文字を追っているうちになぜか涙が滲んだ。読み進もうとすると、更に涙が追って出た。しかたなくハンカチを出して目を抑えた。もう駄目だ。涙は止まることがなかった。
店主が目の前で皿洗いを始めた。気づかないふりをしてくれていることに、私は気づいてしまった。たまりかねて、雑誌を閉じ、こう言って店主に返した。
「涙出て読まれません」
妙な日本語が口から出た。
視線をこちらに向けることなく、2人の店主は静かに接客に向かう。コーヒーを飲み干してトイレに立ち、ジャケットを着て荷物を持つ。私は店を出た。
ホテルの駐車場に戻るまで、涙が止まらなかった。会計する時に視線を合わせることなく、伏し目がちだった店主の顔が忘れられない。
伝えるべき言葉を伝えられないまま店を出たことを後悔した。私は誰も失っていないし、実家もほぼ無事だった。ただ、雑誌の記事に感動しただけなのだと。
250TRは無事に陽だまりの中に佇んでいた。スニーカーを脱ぎ、バッグに入れて荷台に括り付けていたオフロードブーツに履き替える。ヘルメットをかぶり、グローブをつけ、エンジンを始動させる。
深いため息をつき、私は海岸沿いの道路をゆっくりと走り始めた。濡れた目元も次第に乾いた。その日の目的地は志津川袖浜の民宿だ。海沿いの道を南下する。
途中で道の駅 大谷海岸で小休止。展望デッキで海を見ながらソフトクリームを食べる。晴天で気温高めとはいえ、バイクはさすがに身体が冷える。店内に戻って土産物を物色。民宿のチェックインは16時だ。
そうだ、海岸で夕陽も見たいな。夕べはホテルの部屋で漁港の夕暮れを見た。今朝は日の出を見た。誕生日の記念に旅をして、旅先の夕陽や日の出を見るのは格別だ。
夕暮れの鄙びた漁村で道に迷う。ほどなく普通の民家のような宿に着く。まるで親戚の家に来た気分だった。
漁師の叔父と叔母、年の近い従姉が笑顔で出迎えてくれる、そんな感じ。泊る部屋は母屋の隣の別棟で、その日は他に客はいなかった。
夕飯は見たこともない初めて食べる海産物がいくつかあった。感動しながら食べようとしていると、従姉ならぬ宿の娘さんが隣にやってきて、○○年生まれ?と聞いてくる。
私より2つ年下だった。2人とも独身で、兄妹は4人。家長である兄弟との仲が良くない点まで似ていた。サラダの野菜はシャキシャキで、お母さんの自家栽培とのこと。
3.11の時には、アパートが倒壊して実家を頼ってきた彼女を兄は家に入れてくれなかった。大変な時におまえの面倒までみれないと言われたそうだ。
笑いながら話す彼女に、私も笑う。婚約破棄になってからずっと独身。こちらはDVで離婚だ。お互いに、競うかのように自分の苦労話を発表しあって笑った。会話は途切れず、あいづちを打ちながら料理を食べ、舌の真ん中を噛んだ。
綺麗に完食するまで彼女は横にいた。ワカメはもうちょっとしゃぶしゃぶして・・・とちゃんと見ている。何を食べたか記憶に残らない私もそこにいた。
心まで満たされて、ちょっと寂しい広い部屋でテレビをつけて本を読んだ。持参した北海道の地図はけっきょく読めなかった。
階下の風呂にお湯を貯め、熱めの湯で身体を温めた。疲れと冷えがじんわりと解けていく。
早めに布団に入るが、津波で亡くなった人々の霊がそこにいるのだろうかと少し不安になる。部屋がピシッと何度か鳴った。この家はぎりぎりのラインで流されずに済んだというが。
お守りをカバンから出して枕元に置き、朝まで眠った。早朝暗いうちに布団から抜け出し、着替えて散歩に行った。前日の日の出は6時38分だった。
空が明るくなっている方へ走って行った。行き着いたところは、行く予定の無かった北の恋人岬。若者が何人か日の出を見ていた。
袖浜漁港の岸壁へ戻ると、対岸の気嵐が見えていた。暖かい日が続き、期待していなかっただけに感動した。冷えた朝の、日の出から1時間程度しか見られない現象だそうだ。
民宿では漁師のお父さんが獲ってきたタコや煮ツブ、煮昆布などを土産に買った。タコを1枚友人へ送り、もう1枚と煮ツブと昆布を実家と自分用に。
宿代と同じくらいの土産を買ったためか、誕生日旅行と知ってか、朝食にまさかの鮑が付いた。「お父さんが朝、獲ってきてくれたから!ほら」と嬉しそうに、娘が持ってきた。
鮑は実と口と肝に綺麗に分けられ、キラキラ光る貝殻に盛り付けられていた。小さめの鮑だったが、コリコリでとても美味しかった。憧れでしかなかった鮑。美味しさと感動で胸がいっぱいだ。
母屋で土産を受け取り支払いを済ませ、お父さんと娘とほんのつかの間の歓談後、名残惜しい気持ちを振り切って宿を出た。最後までお母さんは表に出てくることはなかった。
震災後、共に民宿を続けてきた息子が西の地へ移住。漁業で独立を果たしたが、急性の病気で危篤状態だと夕べの会話の中で知った。
海沿いの道を海水浴場に沿って走り、荒島に立ち寄り、島のてっぺんの神社を詣る。
ほど近いワイナリーでシードルを一本購入。ワインの瓶は大きくて持ち帰る自信がなかった。
さんさん商店街で軽くランチ。タコと冷凍の煮ツブ、シードルが入ったリュックが重い。融けてしまわないかが心配だ。
私は渋滞が嫌いだ。寒さも嫌いだ。海岸線の美術館や北上川沿いのカフェにも惹かれたが、海に背を向け県道61号線を一気に走って早めに帰宅することにした。
タコもツブも昆布もすべて美味しかった。心に残った風景は、伏し目がちなジャズ喫茶の店主の顔と、喧嘩ばかりしているという民宿の親子の顔だった。
「いい旅してきたなあ。俺も行けば良かった」
「てことで、タコのおすそ分け持ってきました。足3本もあれば一週間くらい晩酌が楽しめるでしょ。あと煮ツブも少し」
「おお、嬉しいなぁ。志津川の真蛸は鮑の味だって噂だからな」
「そうなのよ。ほんと、豊かな海の幸で毎晩晩酌よ。贅沢だわ」
「自分への誕生祝に、食べたアワビの貝殻を貰ってきたの。あと娘さんがくれたタコのお守り」
「ほう、貝殻か」
「そう。昔、クルージングの船長が獲ってきてくれたサザエを食べた後、貝殻を棄てようとして叱られたのよ。それから、貝殻は捨てられなくなったの」
「なんだそりゃ」
「こんな綺麗なものをなぜ棄てるんだ、って本気で叱られたのよ」
「何でまた」
「とげの大きなサザエでね、後で調べたら潮流の激しい場所にいるととげが大きくなるんですって。つまり、危険を冒して獲ってきてくれたサザエってことね。それに見れば見るほど、やはり美しいのね」
「で、今も持ってるのか、それ」
「もう20年も前のことだから、ボロボロになってしまって捨てたわ」
「今度はアワビか」
「そう。お父さんが朝獲ってきてくれたアワビ。キラキラしてとても綺麗なのよ」
つづく
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