彼らの旅 私の旅 燃え尽きることができるなら(創作です)

 
 

先日、ウーコンさんがSNSで朝っぱらからこんなことを呟いた。

ごめんなさい

燃え尽きられれば

今日が最後でも構わないと思ってる

その前に私が呟いた

オートバイ乗りならみんなわかってる

知らないと生きづらいこと

「今日も生きて帰れたことに感謝 それだけで十分」

それに対する彼なりの返信だ

爽やかな秋の朝、かなり重たい短いやりとりだった

そして追加でこう呟いた

ごめんなさい

私の理想のしに場所は道の上です

オートバイ乗りはオートバイで死んではいけない

それが暗黙のルールと巷では言われているようだ

だけど実際は限りなく死に近い乗り物であることには変わりなく

そして乗り手はたぶんそうなっても後悔は無いのかもしれない

ウーコンさんの言う燃え尽きるという意味は

何に対してだったのか

最高の走りができたらという意味?

やるべきことをやりつくした人生という意味?

前に誰かに言った気がするけど、最高に気持ちよく走っている状態で死んだことにも気づかずにあの世へ行けたなら、それはそれで最高かもしれないなとは思う。

オートバイには生きることと死ぬことの話題は付きもので、そこから逃れることはたぶんできない。

この世に生まれたら、いつか死ぬことに決まっているように。

だけど、死ぬことを意識しないと、よりよく生きることもできないとも思う。

オートバイに乗ることは、そのことをとても単純に教えてくれる気がする。

「なにぼんやりしてんだよ、恋でもしたか?」

「え?ちょっと生きることと死ぬことについて考えてたのよ」

「お、何だその重たい話は」

「秋なのよ」

「あ、わかった、腹へってんだろ。ナポリタンでも作るか?」

「もう、マスターってデリカシー無いわね。でもナポリタンいただくわ」

「そうこなくちゃ」

「あと、欅のソーダ割りもお願いね」

つづく

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