津波ハーレーに会いに行った(実話編)

2023年8月31日(木)

ちょっと前にSNSで今頃知った、津波ハーレーの存在。

私はこの10年、この地で何をしていたのだろう。地元のこんなすごい話をずっと知らずにいた。

とはいえ、10年ちょい前に東日本大震災とは違う理由で、ある意味人生が終わってしまったので、そこからの生きなおしをしていたから、世の中の話題には鈍感だったのかもしれない。

 

津波ハーレーとは、単純に言って2011年3月の東日本大震災の津波の被害に遭ったハーレーダビッドソンのことだ。展示館には2台のハーレーが展示されている。

 

津波ハーレーとして世界的に話題になったのは、宮城県山元町からコンテナに入ったままカナダの海岸まで流されて行ったナイトトレインの話だ。震災から約1年後にカナダのグレアム島の海岸で見つかった。

詳しくはこちら。

東日本大震災でカナダに漂着したバイクの物語。持ち主だった男性の想いに感動。 - LifeVancouver カナダ・バンクーバー現地情報
2011年に起きた東日本大震災から既に約5年半が経ちました。そんな中、ハーレーで有名なハーレーダビッドソン社の博物館に展示されている一台のバイクが人々の感動を改めて呼んでいます。 (博物館はアメリカ・ウィスコンシン州ミルウォーキーにあります...

「東日本大震災でカナダに漂着したバイクの物語。持ち主だった男性の想いに感動。」

 

ハーレーは、私がオートバイに乗り始めた頃の最終目標だった。オフロード車に乗り始めたのは、林道が好きだったわけでも、モトクロスが好きだったわけでもない。

 

憧れの礼子さまかひろ子さまが、ライディングを上達させたければオフ車に乗るべきと言っていたからだ。その選択が正解だったのかどうかはいまだにわからない。

 

1台目にDT200を選んでから、というかバイク屋の勧めに素直に従っただけだけど、その後3台乗り継いだのは、すべてオフ車だった。オフ車からオンロードタイプに乗り換えるきっかけをつかめないまま、様々な理由でオートバイを降りた。

 

その後何年も経てから、ハーレーの異なるタイプ2台にちょっとだけ試乗したことがある。

 

人生が終わる前に夢をかなえておきたかったからだ。死期を悟ったわけではないが、40代後半になんとなくそう思ってある日突然試乗へ行った。

 

なぜハーレーが最終目的だったのか忘れてしまったけど、単純にその外観とエンジンの音、排気音が好きだからだと思う。「自由」という言葉が一番似合うオートバイだと思ったからかもしれない。

 

試乗した結果、私には不要だと感じた。この狭い日本を走るには、少なくとも自分には向いていないと感じたのだ。

 

それでも、その存在は今でも憧れであることには変わらず、道で排気音が聞こえてくると心がざわめくのだ。

 

海を渡って遠くカナダまで無事漂着したハーレーの話を知って、とても気になった。だから会いに行ってみた。

 

「TSUNAMIハーレー展示館」はJR常磐線坂元駅からほど近い「やまもと夢いちごの郷」の敷地内にある。

 

地元で被災したハーレー2台がひっそりと、産直市場の駐車場の片隅の小さな小屋に眠っている。ガラスに光が反射して中が見えにくい。写真を撮って、その場を後にした。

 

他のオートバイだったら、こんなふうに朽ち果てていかないのではと思われた。ハーレーだから、朽ち果てていく姿すら何かを感じさせられるのかと思う。

 

アメリカのミルウォーキーにあるハーレーダビッドソンの博物館に、津波ハーレー、ナイトトレインは展示されている。今でも朽ちていく変化を続けているらしい。

 

Harley-Davidsonのオートバイには、soulとかspirit、そんな言葉が思い浮かぶ。マシーン、機械というより、生き物に近いような気がしてしまう。

 

 

 

「やまもと夢いちごの郷」産直市場とフードコートに立ち寄りながら、津波ハーレーにも会いに行ってほしい。

 

産直市場では、Tシャツがひっそりと売られている。表にも裏にもハーレーダビッドソンの文字は一つも入っていない。だけど、背中には津波ハーレーの物語が記されている。

 

白と黒、長袖と半袖がある。

 

 

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