彼らの旅 私の旅 長い夏 カモシカは弱りソーダ水は飛んだ(創作です)

北海道の旅を満喫したライダーたち、バーの留守番と東北の旅を楽しんだ女性ライダーたちは、それぞれの役割と旅を終えて無事ホームタウンに帰って行った。

暑すぎる夏がまだ続いている。

杜の都は日本の中でも比較的夏が涼しいのが自慢だった。

今年はそうはいかないらしい。

体温を超える気温の日が何日も続く。

湿度が不快でたまらない。

苦痛そのものだ。

しかし、日の出前後の早朝はまだ比較的空気が冷えていて、呼吸が苦しいほどの暑さは始まっていない。

この夏、私はパートの休みの日の早朝に、オートバイで2時間ほど走ることに決めていた。

4時前後に走り出し、6時前後に帰宅する。まったくもって快適な朝駆けだった。

ある時は北東の漁港で朝食を取り、ある時は南の海岸へ、またある時は山間の温泉街の共同浴場で朝風呂を浴びて帰ってきた。

日中は、気分と体調によってエアコンを点けたり窓を全開にしたりして暑さをしのぎ、在宅の仕事に集中した。2週間前までの話だ。

窓からは風が入らず、汗がしたたり落ちてくる。耐えかねてエアコンをオンにした。

その日、他県の話だとばかり思っていた37度超えの暑さがこの街を襲った。PCデスクに戻って気晴らしにSNSを見ようとしたら電話が鳴った。PCの右下の数字は10:13と告げていた。

「もしもし、カモシカさんですか?」

「あれ、ソーダちゃんどうしたの?こんな時間に珍しいわね」

「あの・・・事故っちゃって、今、病院なんです」

「え?事故?怪我は?」

「足がぽっきり・・・」

「えええ、大変じゃない!」

ソーダ水の君が言うには、国道45号線を松島方面へ向かって、北海道で知り合ったボーイフレンドのバイクと2台で走っていた。市内を抜けるまで45号線は渋滞していたが、片側1車線になった頃、車の流れはほぼ順調になった。

多賀城のとある大型店に差し掛かるあたりで駐車場待ちの車を除けた直後、急に右から覆いかぶさるように車が左折してきた。その車の横っ腹に突っ込む形でソーダ水の君のオートバイが車に衝突して、飛んだ。

ボーイフレンドのバイクは先を走っていたが、衝突の音に気付いて路肩にバイクを止め、歩いて事故現場に戻った。ソーダ水の君は初デートランに浮かれていて、彼の背中しか見ていなかったのだと言った。

「でも、声が元気だから大丈夫よね?」

「ええ、今はテンション爆上がりでなぜか元気なんですけどね」

「で?入院なの?」

「いえ、ギブスして帰宅です」

「バイクは?無事なの?」

「ええ、直角に車に突っ込んだ形なので、前輪のサスが効いて衝突の衝撃で壊れた部分は無いみたいなんです。普通に転倒した時の破損程度で。今はバイク屋さんに運んでもらって点検中です」

傍にはボーイフレンドが付き添っているらしく、あとのことは彼に任せれば安心なようだ。

前を走る仲間の背中ばかり見て、周囲の状況に気づくのが遅れる事故は、けっこう多いらしい。ましてや恋心が始まったばかりの若い女性がそうなるのも無理はない。

とはいえ、事故は事故だ。骨折程度で済んで幸いだったのかもしれない。ソーダ水の君は数日自宅療養し、その後は松葉杖をついて仕事へ復帰するか在宅勤務にしてもらうか相談すると言っていた。

内職を終え、午後は少し昼寝をして、夕方シャワーを浴びてバーへ行った。

ソーダ水の君の事故は既にマスターも知っていて、彼女が電話で語っていた事故の状況を更に細かく語って聞かされた。

「45号線な、事故多いんだよな。新港から七ヶ浜方面にでも行けば良かったのにな、ちょっと遠回りして」

「そうね」

「ところで、カモシカくんもずいぶん久しぶりだよな。2週間ぶりくらいか?」

「うん、そうね。コロってたのよ、実は」

「なに?コロってた?」

「そう。まだ味が分かんないの。匂いもしない」

「え、そうなのか。なんで連絡しないのさ」

「なんでって、連絡してもどうしようもないじゃない」

「なに言ってんだよ、カップ麺くらい届けたさ」

「あらそうなの」

「でもあれだな、実家近いから何かと助けがあったんだろ」

「無いわよ、まったく。見舞いの言葉ひとつ無し。身内の冷たさを思い知ったわ」

「飯とかどうしたのさ」

「24時間くらいで高熱が下がってから自転車で買い物行ったわよ。その後の微熱続きの頃はまだ味覚も臭覚もあったから、タコ刺しとかすごい美味しかったわ」

「症状が軽かったってこと?」

「まあ、そうなのかな。咳もまったく出なかったし。ただ、その後が問題なのよ」

「後遺症ってやつか」

「そうそう。微熱が去ったと思ったらお決まりの味覚臭覚障害。肺の微かな苦しさ、倦怠感、鬱気分、マイナー思考」

「バイクにも乗れなかったから、気分転換もできず、部屋の暑さも何もかもストレスで参ったわよ」

「仕事は?」

「1週間休んで、肉体労働がきついほうの仕事は3週間休んだわ」

「収入どうすんだよ。きついだろ」

「有給が何日か取れるから、少しは補えるはず」

「ほんと、この度は参ったわ」

「実はうちの奥さんと子供もコロってたんだ」

「だから、うちに食料運びながら、自分はハマさんち借りて半別居生活してたのさ」

「あらまあ。まったく悪意よね、コロって。ほんと、許せないわ」

「まあまあ、済んだことは忘れようぜ。で、何なら飲める?」

「マンゴージュースとかレモンソーダなら何となく味がわかるのよ、不思議なことに」

「じゃあ、シンプルにマンゴーリキュールとオレンジジュースのカクテルでも飲んでみる?」

「うん、それいいかも」

「つまみは?」

「そうね、食感が美味しければなんとかいけそうなんだけど・・・やたらにタコ刺しとかイカ刺しが食べたいのよね」

「刺身はさすがに無いな。じゃあ、牡蠣のオイル漬けはどお?亜鉛がいいんだぜ、味覚障害には」

「じゃあ、それお願い」

「まあ、あれだ、そのうち治るさ。気長に待つんだな。人生、たまには止まることも必要なんだよ」

その頃、ボーイフレンドに送られて自宅に帰ったソーダ水の君はひとり、ベッドの上で呟いた。

「やっぱりオートバイは一人で走るに限るわ・・・」

つづく

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