太平洋フェリ-が苫小牧港に着岸した日は、北海道も雨だった。
台風も近付いてきており、全国的に雨模様の一日だった。西日本では線状降水帯による激しい雨が降り続いていた。
レインスーツを身に着けたライダーたちの乗るオートバイが、フェリーの大きな口から吐き出されるように北の大地に降りてくる。
一旦船を降りたら、雨だろうが嵐だろうが道へ走り出さねばならないのがオートバイだ。
乗船日のキラキラした表情を曇らせたライダーたちが、見えない重い荷物を背負ったかのように、ゆっくりとそれぞれの方向へと走って行く。
私たちは駐車場でいったんオートバイを降り、歩いてターミナルへ引き返した。
何処へ向かうかは誰も言葉にせず、キャンプ場の地図と日にちを確認するとあっけなく解散した。フェリーの中でもほぼ別行動だったため、集合場所の確認すらしていなかったのだ。
マスターとミリオンさんは先に駐車場へ向かうと、ミリオンさんが先に出発し、マスターは手を振って見送った。すぐ後にマスターもミリオンさんと同じ方向へと走り去った。
ソーダ水の君と私は近くで食事のできる店を探した。私は通話のみのガラケーなので、ソーダ水の君がスマホで探してくれた。
近くにたくさん飲食店があるらしい。その中から、気取りのない和洋折衷の小さな食堂を選んだ。
ソーダ水の君はソース焼きそば、私はカレーライスを注文した。小さなその食堂は、まるで映画にでも出てきそうな昭和の雰囲気が残っていた。
直線の長い道路を走りながら、私はレインスーツを脱ぎたい衝動にかられた。雨に打たれてずぶ濡れになったら気持ちが良いだろうと思えたからだ。
そぼ降る雨の中を時速60キロをキープしながらしばらく走り続けているうちに、頭の中に先日ライブハウスで聞いたバイオリンとピアノのJAZZテイストの「シェルブールの雨傘」が流れていた。
ドラマティックなアレンジだった。その曲を聴いているうちに、しとしとと降る雨の中をオートバイでひたすら走るイメージが浮かんだのだった。その通りのシチュエーションの中に、今の私はいるのだ。
過去の記憶が蘇る。この私が、こうして北の大地を旅することができているなんて、あの頃の私には信じられないことだろう。
あの時、私の人生は終わった。そう思った。あとは肉体が生き続けるためだけに生きるだけだと覚悟した。
バイクに乗るどころか、1人で自由に旅することすらあの頃の私にはもう望むことができないと思えていた。
いや、生きていることだけでいいのだと感謝したのだ。何かがフッと楽になった気もした。
ソーダ水の君がバックミラーの中に小さく映っていることすら忘れてしまっていた。その状態は、直線道路が終わりゆるいカーブを繰り返すまで続いた。
バックミラーの中のSR400が右に左に綺麗に斜めになって写っていることに気が付いて、我に返った。
2台のオートバイは苫小牧から234号線を北上し、旭川へ向かう。ハマさんのいる街だ。今夜はハマさんのアパートの近くのホテルに泊まることになっている。約300キロ弱の道程だ。
左ウィンカーをあげて、パーキングエリアに入った。道の駅三笠で休憩だ。
つづく
補足:バイオリニストは牧山純子。どこかで出会ったら聞いてみて下さい。穏やかで繊細な美しい外見の中に、激しいものを秘めているようです。
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