私の旅 実話編 いつからオートバイは良い子の乗り物に・・・?

今日は朝から怒りが心の中にあった。まあ、主に仕事関係のことだけど。

 

怒りが心の中にあると、妙に仕事がはかどったりバカ力が出るから、まんざら悪ではない。

 

出勤時に20分の道のりを歩きながら、また、日中怒りに任せて仕事しながら、なぜかバイクのことを考えていたら涙がこぼれた。

 

どんなことを考えていたんだろう。ああそうだ。夕べのSNSで呟いたことの続きを考えていたんだ。

 

すり抜けするのが悪いの正しいので盛り上がっていたらしいことへの皮肉を、ひっそりとつぶやいたのだ。

 

いつからオートバイは良い子の乗り物になったんでちゅか?

片岡義男先生がオートバイの物語を書かなくなった頃からですか?

 

その意味を分かってくれた人はあまりいなかったようだが。片岡義男の作品をオンラインで読ませてくれる出版社はなぜかリツイートしてくれていた。

 

その、良い子に対して悪い子であったかつての自分のことを考えながら歩いていたのだ。私は悪い子だったからオートバイが必要だった。

 

母のおにぎりを邪魔だからいらないと言ったり、父に反抗して口をきかなかったり、生きている意味を見出せずモラトリアムを続けていたり、わけのわからないまま世の中を批判して不満を募らせ怒りを抱き、命の大切さにも気づいていなかった。

 

暗い顔をして不幸の中で生きているつもりになって、文句ばかり口にし、嘆いていばかりいた。いつも口にする口癖は「落ち込んでる」だった。

 

友達といる時間はそれなりに楽しかったが、人生ってつらいね、そんな話題が尽きなかった。

 

オートバイと出会ってから、自分との闘いが始まった。願いをかなえるためにバイトを始め、バイク用品店へ行きヘルメットを買い、免許を取り、バイク屋へ行ってバイクを買った。とにかく考えることなく前に前にと進んでいった。

 

そして、仕方なく持たされた母の握ったおにぎりの美味しさに気づき、バイクに乗りたいとつぶやいた父の心の奥底を垣間見、寝たきりでバイクの音を聞いていた祖母の思いを知り、カブに私を乗せて走っていた祖父の写真に感動し、自分を嫌っていたと思っていた家族の自分への心配と愛情を知り、生きていることの喜びを知り、自分の弱さと闘うことを余儀なくされた。

 

今日無事に帰ってくることを願い、無事に帰ってこられたことに感謝することを覚えた。

 

と、そんなことを走馬灯のように思い浮かべていたら涙がこぼれた。

 

そんな自分は、また乗るしかないだろう、そう思えた。

 

肉体より先に終わってしまいそうな魂と、肉体より先に衰えてしまいそうな脳を生かし続けるためにも、それは必要なことでしかないと確信した。

 

しかし、先立つものは無いのである。

 

合掌

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