母と妹と、ちょっと贅沢な旅をしてきた。たった1泊だったが、のんびりしているうちに時の流れが異常に早く流れているという、浦島太郎状態の旅だった。
竜宮城のように煌びやかでも豪華絢爛な料理の数々でもなかったが。自然の中で、良質なものに囲まれて自然体で過ごせる貴重な時間がそこにはあった。
そんな旅の夜、寝床にゴロゴロしながら、母がぽつりと言った。
「で、びっくりする話って何?」
「え?このタイミングで思い出すわけ?」
旅の始まりに、最近びっくりすることばかりだと愚痴る母に、もっとびっくりする話があるけど・・・と話していた。それを寝しなに思い出したらしい。ふいに、カミングアウトすることとなった。
バイク関係の思い出や物語のブログというものをやっていて(ブログって何?と母。妹が通訳)読んでくれている人が10人くらいいて、お褒めの言葉をいただくこともある。
その中の一人が、バイクをくれると言ったけど辞退した。そうしたら、購入資金を貸してくれるという申し出をいただいた。理由は、実際にバイクに乗ってからの話を読んでみたいからとのこと。
母と妹、それは今どきの詐欺とか、何か怖い話なんじゃない?身分だって、写真だっていくらでも偽造できるし。以後無言。興味無さそうな反応。で、話題終了。
実際に乗ることを考えている、もう既に大人のバイクスクールとかレンタルバイクに乗ったなどという話もできず。カミングアウトは失敗だ。
翌日、妹がぽつりと言った。どんなバイクに乗りたいの?駐車場って借りるの難しいよ。むかし不動産の仕事してたけど、倒して他の車とかにぶつけるとまずいから貸したがらない大家さん多いし、車と同じ料金を取る場合もあるよと。
母は相変わらず興味無さそうな様子。お金がらみの話で興味を示すのは、出費ではなく入ってくるお金に関する話題だけだ。宝くじとか。保険とか。
私の金銭感覚がいかにいいかげんか、これまでの人生で思い知っているためもあるのだろう。
半分冗談で、過去の母からの借金を死んで返せってことだよね?と言うと、母は小さく頷いた。私には妹受け取りになっている生命保険が掛けられている。支払いは母だ。
医療費も入院費も出ない。死亡時の保険のみだ。はっきり言って、気持ちの良いものではない。しかし、保険の話になると口論になるので無視している。
とはいえ、バイクの話題を2人の前で話すことができただけ、小さな前進かもしれない。
話題を変えよう、この旅の相棒に選んだ本は丸山健二「安曇野の強い風」
宿のある温泉地へ向かうバスの中で少し読んだ。何気なく図書館で借りた本だったが、いくつかの文章に心が揺さぶられた。
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ライダーで一番ひどいイモは、そのオートバイを自分の金で買わなかったやつだ。・・・自分の働いた金で食っているかどうかだ。それができていない者には、自立と独立のシンボルともいえるオートバイには乗ってもらいたくないし・・・
マシンの性能に任せっぱなしではどうにもならないということが、オートバイに乗ってみるとはっきりする。これは誰の人生でもなく、自分の人生なのだという自覚にもつながり、自分でどうにかしない限り救われないのだという当然のことをあらためて思い知らされる。
つまり、誰かに、または何かに寄りかかって生きようとする甘えが消えるのだ。
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まさに、タイムリーな文章だった。そして、ほぼ同意である。チャンスをつかんで早く希望を実現したいという思いの反面、丸山氏の言葉には納得するものがあった。
自分の意思で走ろうとしないと、危険な乗り物だと思うからだ。前を走る信頼できる腕のいいライダー仲間について行けば、確実に安全に走れるとか、そういうものではないということくらい、過去の経験から既に私も知っている。
敢えてソロで走っていた過去の自分が、そういうことに気づいていなかったとしたら、今こうしてオートバイにこだわりを持ち続けることもなかっただろう。
誰の人生でもなく、自分の人生を、今の自分は生きたい、それがこだわりの理由なのかもしれない。
しかし、現実は、バイクとは無関係の旅の予定が続くのであった。
つづく
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