久米島から沖縄本島へ戻ったマスターは、再びとんずらさんとK君と合流した。首里城ほか観光施設を巡り、公設市場の酒場で三線を聞きながら沖縄最後の夜を飲み明かした。
二日酔いを抱えたまま、3人は那覇港からフェリーで鹿児島港へ戻った。とんずらさんとK君は引き続き九州を巡る旅を続けるそうだ。
マスターは、鹿児島で2人と別れ、一路広島を目指す。その夜はつわものさんの家に泊まった。夕食を済ませる頃には、仕事を終えたすすきのさんもバイクで駆け付けた。
マスターの旅の話、つわものさんとすすきのさんのバーでの留守番の話などで盛り上がった。酒に酔うにつれ、互いのバイク事故や怪我自慢が始まった。
傷の見せ合いをしながら、酔いつぶれた頃には全員下着姿で雑魚寝だ。呆れたつわものさんの家族が全員に毛布を掛けてくれたものの、翌朝は全員鼻をすすっていた。
つわものさんの奥さんが作った熱い味噌汁と炊き立ての白飯ですっきりした3人は、尾道から今治へ、瀬戸内の島々を見ながら快適に走った。
香川で讃岐うどんを食べ、淡路島から神戸へ渡った。神戸からつわものさんは広島へ引き返し、すすきのさんは大津でマスターを見送った。
マスターは1人名古屋港へ向かい、フェリーで思い出に浸る間もなく眠りっぱなしで仙台港へ帰ってきた。
ギター弾きさんは自由業とのことで、マスターが帰るまで留守番を続けてくれた。ササさんは2日ほどいてくれて、雪が降る予報の前に常磐道で帰って行った。
ギター弾きさんと2人だったのかというとそうではない。地元のオートバイ乗りの常連さんが数名、入れ代わり立ち代わり手伝いに来てくれた。
1人は、子ども時代のバイクに乗ったヒーローに憧れて、大人になってからオートバイに乗り始めたと言っていた。
もう1人は、父親の影響で子供のころからオートバイにタンデムしていて、16歳になって免許を取って独り立ちした。
週末はまたソーダ水の君が来てくれた。調理場に入って、お得意のオムライスを作ってくれた。なかなかの味だった。
表情が以前とは違っていた。迷いが晴れたからか、曇りのない表情だった。あの日の後、すぐに中型二輪の教習に申し込んだそうだ。
留守番最終日の夜、マスターはフェリー埠頭から直接バーに帰ってきた。日焼けして精悍な顔になっていた。旅をする者らしい顔だった。
夕方店を開けると同時に沖縄からの荷物が届いていた。マスターは箱を開けながら、今夜と明日は店を休むから、明日の夜、俺の無事帰還を祝う会をやろうぜと言った。
その夜はハマのドラネコさんも呼ばれ、地元の留守番さんたちも来た。すすきのさんの友達のソウルレッドさんにも連絡が届いていた。
もちろん、ソーダ水の君も。ミリオンさんも呼ばれていた。ギター弾きさんは、出来立ての曲の弾き語りで場を盛り上げてくれた。
懐かしい沖縄の味を楽しみながら、泡盛を飲んだ。ご機嫌なマスターは、酔いがまわるとふと寂しげな顔になり、涙ぐんだりしていた。
旅の日々が恋しいのだろうか。感動だろうか。年を取って涙もろくなったのだろうか。などと考えていたら、ふとこう言った。
「カモシカくん、ありがとうな」
「え?なんのこと?あ、留守番ね」
「それもそうだけど、あの日沖縄で出逢ってくれてありがとうって意味だよ」
「は?何のことかちっともわからない」
「出逢わなかったら、俺、生きてなかったかもしれないって気づいたんだ、今度の旅で」
「えええ、そうなの?」
「そうさ。いままで自分でも気づかなかったんだ」
つづく
後日、手直しするかもしれません・・・
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