彼らの旅 私の旅 久米島

「私も生きてて良かったって思える生き方がしたいです」

 

帰りしなに、ソーダ水の君が言った言葉だ。迷いのない、いい笑顔だった。この世にまたひとり、バイク乗りが増えた。

 

マスターにもそのことを早く伝えたい。でも、メールするのは何となく違う気がした。

 

いまごろ彼は久米島にいる。たった1人で。

 

 

たった1人あてもなく長旅をしていると、時々俺は何をしているのだ、どこへ何をしに向かっているのだと自分に問うことがある。

 

答えは無い。そんな時はたいていオートバイで走ることが辛い。前に進む希望も見えない。それはいつしか旅のことだけではなく人生そのものへと考えが至る。

 

疲労と寒さや悪天候などが続くと、つまらないことばかり考える。俺を捨てて他の男の元へ行ったあの女のことや、仕事が嫌になったこと。家族のもめごとや、行き先の見えない将来のこと。

 

いっそのことこの世からおさらばしようかと、冗談交じりで思うこともある。

 

単独で日本一周などの長旅をしていると、人は時にそんな思考に陥ることがあるらしい。

 

久米島へ渡ろうとしていたあの時の俺も、まさにそういう気分の時だった。

 

久米島へ渡って、俺は何をしようと思ったのか。

 

旅の宿で何気なく地図を見ていてその地に惹かれたのだ。

 

天国にでもありそうな「ハテの浜」と、人骨が散らばるという「ヤジャーガマ洞窟」。

 

まるで天国と地獄が両方あるような島じゃないか、そう思ったら行ってみたくなったのだ。

 

死というものがどんなものなのか、知りたくもあった。

 

しかし、あの世に近付こうとしていた俺の前に、彼女が現れた。

 

1人きりで天国と地獄を見てみようと思っていた目論見ははずれ、彼女と俺の島巡りとなったのだ。

 

毎日が雨だった。ビーチへは行ったのだったか。行ってはみたが寒さで引き返したのだったか。

 

「俺の死にたい願望 彼女と島」って感じか。今だからそんな冗談も言えるのだが。

 

ヤジャーガマ洞窟へは2人で行った。本当に無数の人骨が無造作に転がっていた。2人でいても気味が悪く、背筋が寒くなって早々に引き返した。

 

思えば、彼女が俺を追ってきてくれたおかげで、いま俺はこの世にいるとも言えるのか。

 

俺一人でこの洞窟を訪れていたら、俺は取りつかれたように洞窟の奥へと進み、そのまま帰ってこなかったかもしれない。

 

鹿のマークのオートバイに乗った彼女が押しかけてこなかったら。俺は、この島であの世に行っていたかもしれない。

 

カモシカに会いたくなった。また、泡盛を飲みながらミミガーやチャンプルーを食べて、ぎこちなく互いのことを語り合いたいと思った。

 

しかし、俺たちはもうあの頃の俺たちではない。近付くと一瞬にして遠くへ走り去ってしまう繊細なカモシカのようだった彼女も、いまでは怖いもの知らずの飄々とした女になった。

 

俺は俺で、ちょっとやそっとのことでは動じないオヤジになった。あの頃のように、カモシカに見つめられてうろたえることもない。

 

俺の日本一周は、40年近く経ったいま、やっと終わったような気がした。

 

とんずらさんとK君との旅は、思いのほか楽しかった。四国から本州へ戻る二人と尾道で合流した。そこからひたすら鹿児島を目指し、フェリーで沖縄本島へ渡った。

 

沖縄本島は3台のオートバイで2日かけて一周した。海中道路を走り、サザンホープ浜比嘉の名物、多幸飯を食べた。東北で食べるタコ飯とは味が全く異なるが、美味かった。

 

コバルトブルーの海を横目で見ながらスピードを上げて走っていたら、ふとあの頃のことを思い出した。

 

結婚直前に女に酷く振られたショックで仕事を辞め、日本一周の旅をしていた頃のことだ。

 

俺の旅はまだ終わっていない。そう感じた。

 

久米島へ行こうと決めた。とんずらさんとK君に数日別行動をとることを告げ、俺は1人で久米島へ渡った。

 

気温は20℃前後を行ったり来たりした。天気は数日に一度雨が降る予報だ。

 

ヤジャーガマ洞窟へ行った後、ハテの浜へ行った。その日は晴天で、美しい海と砂浜が目の前にあった。

 

俺は生きている。そして悪くない人生を歩んでいる。

 

俺はスマホを取り出してバーの電話番号をタップした。

 

「おー。俺。いま久米島。そっちはどお?楽しくやってるか?」

「あ、いまそっちのこと考えてたとこ」

 

電話に出たのはカモシカだった。

 

俺は泣いていた。

 

 

つづく

 

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