彼らの旅 私の旅 土砂降りとオートバイ2

沖縄本島のメインストリート国道58号を北へ、正確に言うと北東方向へヤマハのSEROW-225を走らせていた。

 

先へ進むにつれ、落ち着かない気持ちになった。頭の中はこれから進む道の先のことではなく、彼の事でいっぱいだった。

 

船の出航時間が気になって仕方がない。アクセルを開くことをためらった。思いが溢れて涙がこぼれた。

 

私はあの時、あいつに惚れたのか?もう数十年を経た今考えても、はっきりとしたことはわからない。

 

沖縄は狭い。一周するうちにまたどこかで会える確率は非常に高いのだ。だから、連絡先も何も、お互いに交換することをしなかった。

 

「またいつか会えるでしょう。沖縄は小さな島だから」

「そうだな。またいつか、会おう」

 

それで十分だったはずなのだ。しかし、冷静に考えようとしても涙は溢れて止まらなかった。

 

深い森に挟まれた直線道路で私は決めた。この先の分かれ道でUターンしよう。

 

そして、港へ向かってスピードを上げた。出航時間ギリギリに港に着いた。彼とカワサキGPZは乗船待ちの列にいた。

 

「来ちゃった・・・」

 

あからさまに困り顔の彼に、私はそう言った。

 

「ごめんね・・・」

 

無言の彼に、私は言った。

 

乗船してからもほとんど会話にならなかった。来てしまったことを、私は後悔した。

 

沖縄本島からほど近い離島、久米島。島は連日、雨降りだった。

 

2台のオートバイで、ガジュマルのトンネルをくぐったり、人骨の転がる洞窟を見に行ったり、ミーフーガーへ行ったりした。

宿は簡素なプレハブの民宿や、キャンプ場の無人の建物を利用させてもらった。沖縄とはいえ、雨続きで肌寒い日々が続いていた。

 

レインスーツもブーツも乾く暇がない。海水浴をしたあの日より、楽しいひと時は訪れなかった。

 

外は雨。寒い建物の中でこれからどうしようと考えながら、私は時刻表をめくった。東京行きのフェリーは週に1往復しかない(10日に1往復だったか?)。那覇の出航日は翌々日だった。

 

財布の中を見た。お札が数枚。あとは小銭。本島へ帰る船代と安宿1泊、東京行きフェリーの代金と、宮城までのガソリン代を引くと、小銭が残る程度だった。

 

頭が真っ白になった。ぽつりと彼に言った。

 

「明日、帰るね」

 

彼の反応はどうだったのか、記憶に無い。帰ると言った日の早朝も、雲行きは怪しく、海へ続く森の木から、青い鳥が飛び立ったのを見た記憶しか残っていない。

 

見送りしなくていいと、私は彼に言った。キャンプ場の無人の建物の駐車場で記念写真を撮ってもらい、笑顔で手を振って私は1人、港へ向かった。

小銭数枚を残して無事帰宅した数か月後に、彼から手紙が来た。

 

ひとり残されて、どれだけ辛かったか。金も使い果たして、旅を続けることができなくなった。先輩のいる本島のホテルでしばらく働くことにした。楽しくやってます。

 

30年後、偶然にも彼のブログを見つけた。記事は10年も前のものだった。

 

沖縄へ旅した時、年上の女性ライダーに遊ばれた・・・

 

そんなことが綴られていた。

 

沖縄のことを思い出すと、涙が滲む。そんなことを、今でも彼は知らないだろう。

 

コーヒーを淹れようか。あと数時間で日の出だ。初日の出を見に行こう。

 

薬缶のお湯がしゅんしゅんと沸き立っている。ガレージはかなり暖まっていた。日の出まで少し眠ろう。

 

 

つづく

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