彼らの旅 私の旅 土砂降りとオートバイ1

「明けましておめでとう」

大晦日から元旦にかけて、私はハマさんのガレージにいた。ラジオからは除夜の鐘の音が鳴り響き、アナウンサーが令和5年の幕開けを告げた。

SR400の傍らにリクライニングチェアを置き、椅子の前に置いた灯油ストーブの上には薬缶と餅が2つ乗っている。さっき、カップ麺の年越しそばを食べたばかりだ。

午前零時の時報と共に、私は目の前のSRに新年の挨拶を告げた。エンジンは稼働させていない。

餅をひっくり返しながら、先日のbar‐nでの会話を思い出していた。マスターと私の雰囲気が何だか妙だと、後から店に入ってきた助っ人さんが言っていた。

マスターと私が出会ったのは、1987年5月の沖縄だった。

それぞれが、オートバイで旅をしていた。私は宮城県から国道4号線を自走して東京の埠頭からフェリーで沖縄へ渡った。

マスターは大失恋をきっかけに仕事を辞め、秋田県から日本一周の旅に出た。日本海側を西南に走り、鹿児島からフェリーで沖縄へ渡った。

考えてみれば、そんな2人が沖縄のユースホステルに到着した時刻が一致したことは、奇跡的だと言える。そうでなければ、お互いに話しかけることも無かっただろうから。

「どちらから?」と、彼のオートバイのナンバープレートを見る前に声をかけたのは私だ。

「秋田です」

「私は宮城からです。同じ東北ですね」

それだけで、意気投合してしまったのだ。

「良かったら、飯の後、居酒屋でも行きませんか」

そう言ったのは彼だ。

「あ、行きましょう、行きましょう」

即答したのは私だ。

ユースホステルは何かと制約のある時代だったが、もう20代も半ばを過ぎようとしている旅人には、寛容な宿も多かった。

大いに飲み、食い、語り合った。彼は5歳年下だと言った。割り勘でと言う私を制して、彼が代金を支払った。

「明日の予定は?」

「特に決めてないですけど、海に泳ぎに行こうかと思っていました」

「いいですね」

「一緒に行きます?」

ユースホステルの廊下で左右に別れ、それぞれの部屋へ向かった。

翌朝は、なぜか他人のようにそれぞれ違う席で、他の旅人と朝食をとった。彼とは軽く視線だけで朝の挨拶を交わした。

食後、ペアレントさんに連泊の希望を告げた。Tシャツとジーンズの中に水着を着こみ、バイクのヘルメットホルダーにビーチサンダルをひっかけた。

彼はショートパンツにサンダルだっただろうか。夏にはそんなスタイルのバイク乗りもざらにいた。そんな時代だったのだ。

カワサキとヤマハの2台で走りながら、理想的なビーチを探した。静かで人が適度にいる、美しいビーチをみつけた。しかも、無料だ。

水着になって海水浴だ。どんな気持ちでどんなふうにビーチで過ごしたのか、なぜか記憶が無いが、かなりはしゃいだことに間違いはない。

不思議に異性と共にいる緊張感は無かった。無邪気に子供のように海水浴を楽しんだ、はずだ。

日が傾き、砂の上で身体を乾かして衣服を身に着けた。彼はTシャツとショートパンツ。私はTシャツとジーンズにスニーカー。

ビーチは、ユースホステルから思った以上に離れた場所だった。走り出す頃には雲行きが怪しくなり、しばらくして雨が降り出した。

土砂降りどころではない。バケツをひっくり返したような大量の水が上から落ちてきて、下からも激しく大量の水が跳ね返ってくる。

陽は落ちて空は暗く、道の先はほとんど見えない。辛うじて、前を走るカワサキのテールランプと彼の背中が薄っすらと見えるだけだ。

ゴーグルは邪魔になって外していたので、雨は痛いほど容赦なく顔にぶつかってくる。あっという間に、全身がずぶ濡れだ。

生きた心地がしなかったが、オートバイを止めるにも路肩すらわからない。

彼の背中と小さな赤いテールランプを追う以外に、私にできることは無かった。

しかし、彼と彼のオートバイは、私を無事に今夜の宿に連れて行ってくれた。

ユースホステルのそれぞれの客室へ向かい、まずはシャワー、そして風呂だ。身体が冷え切っていた。

その夜の記憶はそこまでだ。次の記憶は、翌朝、カワサキは離島へ渡る港へ直行。私は当てもなく北へ。軽く手を振り、右と左に別れて走り去った。

旅の別れはあっけない。さらりとして感情的にはならない。それが良いのだ。そう思ったのはつかの間だった。

餅が焼けた。薬缶はシュンシュンと沸き立っていた。タッパーに入れてきた醤油に餅を軽く浸し、海苔を巻いて食べた。もう一つの餅はカップ入り汁粉に入れて、お湯を注いだ。

SRにはガソリンを満タンに入れてある。タンクの内側に結露ができて錆びるのを防ぐためだ。バッテリーは外してある。キャブレターのガソリンも抜いてある。

先日、バーで助っ人さんが話に加わってから、酔いも回り、秘密を自ら口にしてしまったのだ。

ガレージでSRのエンジンをかけて、毎晩のようにしばらくエンジン音を楽しんでいることが、ついにマスターにも知られてしまった。

その後、2人の男から厳しいお言葉が私に降りそそいだのだ。走らずに暖気ばかりしていると、エンジン燃焼時に出る水分がたまるとか、バッテリーが消耗するとか。

彼らのアドバイスに従って、年末に慌ててそれらの作業をしたのだった。

だから、今夜はSRのエンジン音を聞くことはできない。

つづく

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