彼女は決めた 愛車

「こんばんは」

「おー、おやおや」

「どうもどうも」

「もう帰ってきたのか、北海道から」

私は返事をせずに、いつものカウンター席に落ち着いた。

「ビールか?」

「うーん、どうしようかな」

「お通しから決めるってのはどうだ」

「え?今夜のお通しは何なの?」

「オーガニック野菜のバーニャカウダ」

「わお、どうしちゃったの?すごいお洒落」

「いや、あんたから教わったオーガニック野菜の店で買ってきたんだよ、野菜を」

「村岡農場さんね」

「そうそう、なかなか面白い兄ちゃんだよな」

「野菜が凄い綺麗だったでしょ?」

「もう、芸術的だな、あれは」

「じゃあ、白ワイン。あったかしら?」

「小瓶でいいかな、飲みきりで。冷えてるよ」

「オッケーです」

「ところで、北海道はどうだったのさ」

「それがね・・・」

「あと一週間は帰ってこないだろうなと思ってたよ」

「行かなかったのよ。というか、行けなかった」

「え?なんだそりゃ」

「三人で走りに行った翌日に立ちごけしちゃったのよ。それで足と腰に怪我をしたの」

その後のハマさんとのやりとりと、SR400が実質上私のものになったことを簡単にマスターに説明した。

「おお、喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわかんねーけどさ、良かったんじゃないか」

「そうなのよ、嬉しいやら悲しいやら、まだ気持ちが落ち着かないのよ」

「で、怪我の具合はどうなのさ」

「思ったより酷かったの。腰が痛くてまっすぐに伸びないし、前屈みになれなかったし、右足の脛からくるぶしあたりまで三毛猫みたいな模様になって腫れあがっていたし、感覚も無かったの。歩くのも一歩一歩、亀のようだった」

「あれから3週間か、まだ痛みがあるのか?」

「そうね、でももう怪我をする前のように動けるのよ」

「それにしても、ハマさん、粋だよな」

「ほんと、素敵な方だわ。SRはお借りしているつもりなので、大事に乗らないといけないのよ」

3週間前、見知らぬバイク乗りにブレーキレバーを交換してもらったSR400で、なんとか無事にハマさんの家に帰り着いた。SRを私に預けて下さるという話の後、ガレージの話になった。

私が住んでいるマンションにはガレージが無い。躊躇した理由の一つがガレージの問題だった。ハマさんは、再び神様のような発言をした。

「この家なんですが、妻は私の単身赴任が終わるまで実家へ帰って暮らすと言っています。いずれここへ戻ってくるつもりで、家はこのまま維持しようと思っているんです。そこで、更に相談なんですが・・・」

私は何が起こっているのか、傷む足と腰が気になって、話の内容を完全に把握することができずにいた。表情を読み取ったのか、ハマさんは話を中断して言った。

「ごめんなさい。怪我してますか?先に怪我の手当てをしないといけないですね」

家に上がらせてもらい、洗面室でジーンズとハイソックスを下ろし、腰と足の様子を確認した。足の脛の内側に血がにじんでいた。

いくつかの傷跡と、膝下全体に赤黒く内出血が広がっている。鏡に映してみた腰のあたりは見た目には異常は無かった。

「まず湿布と保冷剤ですかね。冷やさないと。傷口があればマキロンで消毒して、大き目の絆創膏がいいですか?」

「ありがとうございます。ほんと、助かります」

湿布と傷の手当を終え、熱いほうじ茶とクッキーをいただきながら、聞いた話はこうだった。

ガレージを自由に使って良いということ、その代わりに、時々家に入り窓を開けて風を通して欲しいということ。私さえ良かったら、住んでもらっても構わないとのことだった。

傷む足と腰を我慢して、ハマさんが車で送って下さるという提案を断って自転車で帰宅した。

痛みにほとんどの意識が向かいながらも、SR400のこと、ガレージと家のこと、北海道行きが無しになったこと、様々な思いを少しずつ考えながら自転車のペダルをこいだ。

「ラッキーガールじゃないか」

「そうかしら。たしかにそうかもしれないわね」

「でも実は怖くなっちゃったのよ」

「何が?」

「オートバイに乗ることが」

「身体のダメージ以上に心のダメージが大きかったみたい」

目の前に、湯気の上がるバーニャカウダソースの入った小さな器と、カットされた美しい野菜が乗った皿が差し出された。それと、見るからに冷えている白ワインの小さなボトルとグラス。

「すごく美味しい」

「ソース無しでも美味い野菜だよな、ほんと」

「北海道は逃げないからさ、また計画立てればいいさ。何なら俺と行ってもいいしな」

「やだ、あなたと2人なんて」

「なんでだよ」

「妻子持ちと二人で旅するなんて、嫌よ」

ドアが開いて一人のガタイの大きな男性が入ってきた。彼は、あの時の。そう、立ちごけしたSR400を起こし、ブレーキレバーを交換してくれた男性ライダーだった。

「あ、どうも」

「あ、あの時はありがとうございました」

「てっきりバーのお姉さんかと思ってましたが、お客さんなんですね」

一つ隣のスツールを空けて、カウンターの右隣に彼は座った。

おわり つづきます

秋ですし、もうすぐ冬ですし、足腰も完璧ではないので、たぶんもう今期はオートバイに乗らないと思います。物語の中で遊びたいと思います。

混んだ電車の中とか、自由にならないどこかの場所で、暇つぶしに読んでいただけたら幸いです。

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