彼女と出会う前の僕の心は、鱒のようにギラギラと輝く魚のようなものだった。川でも海でも、どこへでも行く、世界中の海を泳ぎ切る鱒のように勢いがあった。
彼女に出会ってからの僕の心は、黄金の魚だった。怖いものなど何もない、夢のような日々の中で勢いよく泳ぐ魚だった。
彼女を失った時から、僕の心は氷の中の金魚になった。まるで生きているように見えて、少しも動こうとはしない。つまり、死んでいるのだ。
あれから20数年が経った。そんな僕の心が、ほんの少し融けてきた。目に見えない存在が、僕の心を融かし、そして解してくれたから。
SNSで呟く見えない存在のあの人は、ふざけた呟きとは裏腹に、深い思いをブログに綴っていたりする。
何気なく読んでみた、そのひとつの物語に僕は衝撃を受けた。誰かを亡くし、悲しみの淵に立つ姿が淡々と綴られていた。
物語を読み終えた瞬間、走馬灯のようにあの時のことが蘇った。僕は泣いた。初めて泣いたんだ。今まで泣けなかった。認めたくなかったからだ。彼女を失ったことを。
まるでどちらかがどちらかの影ででもあるかのように、峠道を、街なかの渋滞路を、まっすぐ続く長い道を、あらゆる道を美しく二人で走ったあの頃のことが溢れるように蘇った。
あの時から、誰にも心を許すことができなくなった。どんなに探しても、誰も僕の心の氷を融かす人はいなかった。いや、僕が氷の中の金魚を生き返らせることを頑なに拒んできたのだ。
僕は真夜中を好んで走った。真夜中なら、また彼女に会えるような気がしたからだ。だけど、氷が融け始めた今、燦燦と降りそそぐ陽光の中を走りたいと強く思うようになった。
そんなタイミングに、一人の女性とSNSで知り合った。ふとしたつぶやきに、時に心を奪われる、他の女性たちとは異なるタイプ。そんな希少な女性ライダーだった。
そして、僕の愛車と同じオートバイに乗っている。会おうという約束をした。素直に会いたいと思ったからだ。
春の長期休暇を利用して、僕は旅に出る。いつものことだ。大抵は一人旅なのだが、今回は、あの忘れられない峠道のある地方に住む彼女に会う予定を入れた。
二人で美しい峠道を走ってみた。彼女の走りは、とても自然で穏やかだった。不思議なことに、その日僕は失くした彼女のことを思い出さなかった。彼女と走った峠道だったのにだ。
素晴らしい旅を終え、ビールを片手に開いたSNSに、あの峠道のある地方に住む彼女から、素晴らしい写真が送られてきていた。陽光を受けて愛車と共に堂々と立つ僕の姿だ。僕は笑った。
心の中の氷は融けたようだ。同時に、氷の中の金魚は再び黄金の魚になろうとしているらしい。
あの峠道のある地方に住む彼女にまた会いたい。僕は素直にそう思う。
おわり
そんな物語が、曇天の下でひとり草むしりをしている時に天から降りてきた。この物語は、初の創作です。(ネタの一部はどこかでパクったらしい)
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