SNSでジーンズの話題になった。
夕飯時、ジンを飲みキムチ鍋を食べながら回想が天から降ってきた。
親の猛反対を押し切って私立校へ入ったころのこと。高い学費を払っているのだから、洋服を買う金など無いと母は言った。制服があるじゃないか、それを着て出かけろと。
女性として輝くためのお洒落を学び始める年ごろでもあったのに。おかげでお洒落には罪悪感しかない女になった。
じゃあいいよ、となけなしのお金を持って一人でジーンズショップへ行ったのかもしれない。記憶は定かではない。中学一年生の頃だ。嫌々ながら親に付き添ってもらったのかもしれない。
初めて買ったジーンズはオーバーオール。当時のジーンズはまだ不良のイメージが強かったから、批判も少なからずあったような気がする。
そう、その頃のわたしは、親への反抗心がムラムラと生まれてきた時期でもあった。
命がけとも言える本気度で行きたかった私立校入学を反対されたこと、他人と比較してダメな部分を否定されるばかりでもあったため、親への反抗心は半端ではなかった。
思いを貫いて私立校へは入学したが、親からのバッシングもその後多少なりともあったのだ。世間に対する漠然とした反抗心もあった。いろんなことに怒りばかり感じていた。
とにかく生きづらかった。
そういう状態から解放されたのはいつだったかな。今でも付き合いのある大切な友人たちに出会ってから、少しずつ変わっていったのかもしれないし、劇的な変化はやはりオートバイと出会ってからではなかっただろうか。
オートバイに乗るために、ジーンズはまさに適した衣服の一つだ。見た目も良ければ機能性も良い。オートバイとジーンズは、切っても切れない好相性なのだった。
本当の自由というものをオートバイは教えてくれたし、自由であるためには自分自身が頑張らないといけないのだということも教えてくれたのだった。そうすれば、かけがえのない楽しさと感動とを得られることも。
オートバイを降りてからも、わたしは一年のほぼ三分の一、いや四分の三以上の日数を、ジーンズを穿いて生きている。もはや、ジーンズを穿いていないと落ち着かないのである。
わたしにとってのジーンズは、いつのころからか反逆のシンボルではなく、
自由の象徴であり
自分自身として生きている証であり
たとえオートバイに乗っていなくてもオートバイ乗りであることの勲章でもある
と密かに思っている。
たまにひそひそと声が聞こえることもある。
ジーパンばかり穿いてさぁ・・・
自由であること、自分自身で生きることを、多分知らない人たちなのだろう。
わたしの魂は、インディゴブルーでしか守られない。そんな気がする。
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