夏の終わり・八幡平(Sep 4, 2021)

 

き続き、過去の回想です・・・

 

・・・・・・・

 

職場以外の場所へオートバイで出かけるとき、母に告げる言葉はいつも「ちょっと行ってくる」だった。

 

「ちょっと行ってくる」の範囲は、だいたい片道200キロ前後くらいか。 場合によっては、一泊以上の宿泊も含まれる。

 

1986年8月27日、ちょうどそんなふうに家を出た。

 

夏が終わる気配に急に焦りを感じ、なぜか岩手県の八幡平へ行かなければと思ったのだった。

 

行きたい思いに理屈はない。思い立ったら行くだけだ。

 

荷物はいつもさほど多くはない。簡単な着替えとレインウェア、紙の地図と現金が3万円もあれば良かった。

 

もしかしたら、1万円か2万円もあれば充分だったような気もする。

 

ガソリン代、食事代、宿代、公衆電話代。帰りの財布は、ほぼ空っぽ。あるいは、硬貨が数枚のみであることも普通だった。

 

出発の日は曇りから雨。空模様に不安を感じながら国道4号線を北へ向かった。

 

岩手県に入ってさらに北に進み、国道4号線から八幡平へ向かう道を探す頃には雨がぱらついてきた。

 

夏の終わりの平日、客の少ない八幡平の国民宿舎に泊まったように記憶する。

翌日は嘘のように見事な秋晴れだった。早朝出発のため、八幡平アスピーテラインの料金所には誰もいなかった。戸惑いながらゲートをくぐった。ラッキーだ。

 

誰もいない快晴のアスピーテライン。

 

無言の出会いと別れ。

 

藤七温泉立ち寄り湯。

 

藪の中の岩の上で無防備に昼寝。

例のごとく、帰りの記憶はほとんど無い。
 
 
極度の疲労を感じながらも休息を取らずに走り続ける癖があった。記憶が残っていないのはそのせいかもしれない。
 
 
旅の終わりはつまらなくて、帰りたくない思いと葛藤する。それでも、とにかく家に帰って休みたい思いで走り続けるしかないのだ。
 

「ちょっと行ってくる」

 

そう言って、ヘルメットと小さな荷物を抱えてごついオフロードブーツを履いて仏頂面で家を出ようとする自分に、急いで握ったおにぎりを渡す母がいた。

 

荷物が増えるのを嫌がった、親不孝の自分がいた。そして、道の途中で、しぶしぶ受け取ったそのおにぎりの美味しさを噛みしめるのだった。

 

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