タイトルは、オフロードの間違いではない。「道を逸れる」という日本語をグーグル先生に英訳してもらったら、Off the roadと出てきたのだ。
オートバイの話のようで、そうでもない。でも、限りなくオートバイの話に近い。
つい先日ようやく会えた長年の友人の最近の口癖というか、メールや電話を含めて、もう3回くらい聞いた言葉が印象に残っっていて、自分もほぼ同感であるという話だ。
『この道を選ばなかったら人生は変わっていたのかな・・・』
自分も思い返せばそんな人生だ。この道を選ばなかったら、あの時、前に進まずに待っていたら、あの人を選ばなければ、あの場所へ行かなかったら、もっと大事にしていたなら・・・云々、いくらでも出てくる。
オートバイの場合はちょっとだけ違うかな。かつて現役のバイク乗りだった頃、気まぐれに路地に曲がっても、目的地へ向かう道から逸れてみても、その道は必ず行きたいところへ繋がっているのだと、根拠のない確信を持っていた。
そして、最終的には行きたい場所へ必ず行き着いていた。たとえ行き先を決めていなくても、そこはいつも自分が行きたかった場所だった。
たまには行き止まりだったり迷路のような路地だったりして、しぶしぶUターンすることもあったけれど。路地には路地の良さがあって、たとえ行き止まりでもそこでふと人生を学んだりするのだ。
大道を進めば目的地により安全により早く到達することができるけど、路地の先に何があるのかは行ってみなければわからない。人生も、脇道に逸れてみなければ、そこにある喜びや多くのことはわからないかもしれないと。
しかし、人生とオートバイの違いは大きい。人生の場合はいったん道を逸れてしまうと、到達する場所が大幅にずれてしまうという点だ。オートバイの場合は、たぶん最終目的地を初めに決めていることで、たとえ脇道に逸れても要所要所で軌道修正をしているのだろう。
目的地が無い場合は、行きたい方向へ心のおもむくままに進んでいるから、どこへたどり着いても後悔が無いのだろう。
人生は、気が付かないうちに逸れた道のまま、様々な理由で望まない方向へ進んでしまうことがある。漠然とした希望の場所からどんどん遠ざかっていく。目的地を具体的に決めていたとしても、希望通りの地へと到達できずに今の場所にたどり着いてしまっていたりする。
目的地をはっきりと決めること、道を逸れてもこまめに軌道修正すること、それらによって希望の場所に限りなく近い場所へと行くことが可能であるということを、オートバイは教えてくれるような気がする。そして何より、オートバイでは心の望む方向へしか行くことはできない、本来ならば人生もまた同じなのだと。
今からでも遅くはないんじゃないか?
少しでも自分の望む方向へ、軌道修正することは。
生まれ変わってからでもいいけど、できるなら今生きている世界でそれができるといいよね。
そして、決めるのはたった一人自分だけで。
オートバイを走らせるのは自分一人だけだから。
7月2日(木)追記
読み返してみて、なんかそうじゃないかもと思えてきた。本当に伝えたいこととちょこっとずれてないか?と。
けっきょく、言いたかったのは、自分で選んだ道ならバイクでも人生でもそれは正解であって、後悔は無いはずだと言いたかったような気がしてきた。
7月4日(日)追記
ああ、でも、あの時、沖縄から帰るフェリーに乗らなければ良かったと、ふと思う。船上での出会いが、行きたくない方へ行ってしまう自分へと変えてしまったような気がする。数十年を無駄にしてしまったような気もする。でも、自分で決めたことには違いないから、後悔というほどのことではないのだけど。マイナスの感情があるなら、進むべきではないなと学んだような気はする。ワクワクする方へ進めば間違いはない。
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